帝国海軍の空母保有は大したもので
戦艦の護衛と敵空母の撃滅に用途を分ける
下手くそな運用思想のもとたくさん計画して作っただけなんだが
正規空母6隻に限らず集中運用すれば一大戦力に化ける潜在能力があった

昭和17年春に意識を変えただけでできる範囲でも
昭和17年末までに、艦隊型空母だけで700〜800機の搭載能力を整備できた

即ち
中型以上8隻
加賀、赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、橿原丸、出雲丸
小型空母、特設空母8隻(28ノット以上、艦隊決戦で使えるもの)
龍驤、剣埼、高崎、大鯨、千歳、千代田、日進、瑞穂

山口多聞はこれらのうち12隻〜14隻を実現して
これを海軍の主力として作戦することを提唱していた
その際の戦力は艦戦がメイン(6割以上)とされたが
もし昭和15年までに陸攻主体の軍備を改めてたら、艦攻艦爆をもっと増やせただろう

結局、これらは、基地航空隊を優先する海軍の方針により宝の持ち腐れとなったが
その一方で、基地航空隊は陸攻の不足により各拠点で充分な哨戒を行えずに敵空母により壊滅した
が、しかし
これは戦前〜遅くとも昭和17年春から予見されてしかるべきだった
だって帝国海軍自身がこれだけの空母戦力を保持する見込みがあったのだからね
帝国海軍は山口多聞以外は自らの力に気づかず、自滅した