>>132
当時はロシアとフランスが同盟しており、ドイツは挟撃の危機にあったので、それに対抗すべく立案されたのがシェリーフェンプラン。
この計画では動員と配備、開戦までが、鉄道計画などと密接に絡み合って決定されており、途中で待機状態にすることが出来なかった。

計画実行の原因は、サラエボ事件ではなく、それによるロシアの動員と国境配備で、これが済むとシェリーフェンプランが破綻する。
ドイツ皇帝はロシア皇帝に問い合わせ、開戦の意思はないとの返答を受けたが、これが嘘だった場合、仏露を時間差で打つ事が不可能になる。
大動員力を持つが行動が遅く、交通も未発達なロシアに先んじて、まず背後のフランスを撃破し、ロシアに転身するのが計画だからだ。

ニコライ二世の性格からしても、開戦する気はなかったと思われるが、ロシア側の現場が勝手に暴発すれば、ドイツの勝機は失われる。
ドイツから積極的に開戦すれば、少なくとも勝ち目はあるという状況で、マキャベリ的な理由からフランス侵攻が決定される事になった。