中国切腹後、日本は繁栄と平和的秩序のモデルとなる
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62173
https://news.livedoor.com/article/detail/18966125/
 だが、中国による西太平洋地域支配のための「列島線の防衛」は、大東亜戦争時の日本の敗戦に
つながった「連鎖する太平洋諸島の防壁」の二の舞となる。日本の敗戦後の昭和21年(1946年)に
米戦略爆撃調査団が提出した報告は、次のように指摘している。

「(日本が)この『連鎖した防壁』全部を守ろうとしたため、おびただしい兵力が投入された。しかしながら、
この結果、大兵力が分散されてしまった。愚かな戦略であった。分散された兵力では、敵軍が一個所に
兵力を集中して攻撃してきた場合、防御できるはずがない。この墓場は底なしであった」

 日本側でも、要塞化された太平洋諸島をつなぐ防壁の構想を発展させて、昭和18年(1943年)9月に
発表された「絶対国防圏」に関して、陸軍第四航空軍の寺本熊市司令官が当時、次のように看破していた。
近未来に長大な列島線と、広大な太平洋の制空権を単独で防御することになる人民解放軍に対しても
当てはまる考察だ。

「大本営作戦課は(中略)絶対国防圏と言う一つの線を、千島−マリアナ諸島−ニューギニア西部に
引いて絶対にこれを守ると言いだした。一体これは線なのか点なのか。(中略)要するに制空権がなけ
れば、みんな点(孤島)になってしまって、線ではない。(中略)大きな島でも、増援、補給が途絶えたら、
その島に兵隊がいるというだけで、太平洋の広い面積からすると点にさせられてしまう」