大東亜戦争こうすれば勝てた!第14戦線 [無断転載禁止]©2ch.net
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ミッドウェーはドゥーリットル空襲で赤っ恥欠かされた大本営から降りてきた作戦だから断れないのよ >>23
日本軍がインド人にどういう扱いをするか想像してもらいたいもんだ。
どうみても反乱必至だろw >>24
そういう単純な話でもない。複雑な話しだから複雑な作戦になった。
で複雑な作戦は失敗するw >>26
大陸打通作戦のような単純な作戦は大成功だからな。 >>25
まあ日本軍はチャンコロを3500万人虐殺したからな。 大東亜戦争の軍事的分析ってさ
まず海軍はチンパンで失敗したんだよ。海軍の最大のみすは国力リソース、資源リソースの全計画狂う級の失敗
そして本土決戦に関してアメリカは勝てなかった、絶対の根拠は戦後のB52、同盟国世界兵站システムがなく、核が量産できてないため核も投入できない、兵站制約が大きくて、ベトナムの空爆、湾岸の大陸軍を投入できる状態じゃない。
米中戦争と同規模の微妙な兵力でさらに短期決戦縛りで戦えない状態で、あの程度がやっとの戦力だった
しかし最大的にソ連は日米本土決戦が始まる1-2ヶ月前に余裕で大陸制覇ができて、北海道戦の準備(投入可能兵力40万くらいと微妙)ができて
日米本土決戦の交互準備のまえに、わずか1ヶ月で日本軍排除、1ヶ月で制圧、1ヶ月で準備で11/10前に北海道戦の準備
そして11/10の本土決戦計画は台風でどうしても2週-4週間遅れ、12月頭から戦闘開始だが、その間に先にソ連は北海道侵攻初めて、年内に北海道制圧すら容易、早ければ11月中に制圧可能なくらいであり
逆にそんな危機でも日本具は対処できず、アメリカは本土決戦にも勝てず停戦
本そういちの魂だけタイムワープ?漫画のIFで北海道を失った21世紀の日本帝国のシナリオがあったが
冗談抜きで、あの段階でアメリカには勝てるが、停戦が1-2ヶ月遅れると、ソ連が敗戦を認めず北海道は割譲される 日本は大東亜戦争以前にその40年前からロシアを恐れてきて、ロシアを倒したあとにロシアを最も恐れた
その恐怖のとうり、大局的検知で巨大なソ連に一切対抗せず、打つ手なしで、政治的状況動かされた
「日本海軍は大馬鹿であり、アメリカは海軍を殲滅するが、まだ当時世界帝国として世界大拠点兵站戦略がなかったため、日本軍相手の大攻撃は無理で消耗戦に引き込まれ、本土決戦をやっても勝てなかった
しかしソ連は本土決戦の準備にあわせて、わずか1ヶ月で大陸日本軍を駆逐して、もう2-3ヶ月で北海道制圧が可能だった
まさに大国ソ連がゲームを一瞬で動かし、日本は大陸ソ連に打つ手なく脅威を払えなかったままだったの大陸進出」
てのが歴史の答えで公平な目線なんだよね であるから、海軍は無能で損害を増やし、アメリカは海軍倒して海上制覇してもなお、日本を制圧できず、国力限界が迫ってた
そして海軍のミスをさせない、大艦隊主義をおさえて、機雷、潜水艦、駆逐艦の沿岸警備路線なら少ない損害で、まともにアメリカの攻撃に耐えれた
(また空いたリソースで自動車と真空管開発に取り組まないといけない)
しかしそれでアメリカの計画を阻止してアメリカに勝利しても、そもそも大局的にソ連に勝利することが完全困難であるため
消極的な対米勝利をしたところで、大局でソ連に負ける
まともにソ連軍と戦おうと思ったら、日本軍は常備兵力で満州+北シなどに常備軍で完全自動化師団を20個揃え、うち4割8師団は3式以上の戦車師団で
大陸に3式戦車でいいから計50連隊2000両の3式、計30連隊の重榴弾部隊800門
計10連隊規模の200門以上のカノン砲砲兵師団を揃え
トラックだけで常備で2万両以上大陸に配置する必要がある
これくらいの大規模陸軍がないとソ連を抑えるのは無理で、それがなければアメリカに勝利しても、大陸支配権は失い
アメリカに勝っても大日本帝国のハンズは北方領土、台湾、広東など南東部、インドシナ、フィリピン、インドネシア、タイなどまでの小さなはんずになるだろう......
いや赤字帯の難民を解雇できていいこと尽くめじゃないかww >>31
> これくらいの大規模陸軍がないとソ連を抑えるのは無理で
現在、にわかに盛り上がっている日本刀ですが、
この現代では芸術品として扱われています。
その有名な日本刀の切れ味の記録が行われていたのはみなさんご存知でしょうか。
この記録は戦争にて、古来の業物を貸与された軍人が戦時中に使った使用感を記録したものです。
本来刀は芸術品というよりは、美しい武器です。
今では考えられない事ですが、大戦中にも使われていたわけです。
http://lineq.jp/note/73256?ref=livedoor
日本古来の工芸品たる日本刀は、大陸打通作戦でチンピラゴロツキ3500万を殺戮する大戦果を挙げた。
けれどもその分、工業技術の発展が米英独ソよりも大きく遅れてしまった。
というか福沢諭吉の「脱亜論」で書かれているように、明治国家はチャンコロ対策が最終目的だった。
だから工業で米英独ソに及ばずとも、チャンコロチンピラゴロツキを壊滅させたのだから万々歳だ。
対日戦争がオマケつーなら日中戦争はオマケのそのまたオマケで、中国人は人間扱いされなくなってしまう。
チンピラゴロツキ3500万を日本人の軍刀で斬り伏せ、かつ中国への賠償金はゼロ。
日本刀の切れ味は日本古来から伝わる不思議な日本人の魂が宿っており、中国人はその体で思い知らされた。
日本力が中国人の身体を切り刻んで、その恐怖は今なお中国人の脳裏に焼き付いて消えない。
中国人は老弱男女全てが殺戮の標的物だった。日中戦争賠償はゼロ、まさに野球で言えば「0点に抑えた」快挙だった。 >>25
結局ビルマも民衆はイギリスに味方したし
インド兵もイギリスに味方したのが250万人で、日本に味方したのが4万人程度だからな
ブラックな現場をどうにかしないと無理だ >>15
英仏蘭だけに宣戦布告したとしてもやっぱりアメリカが参戦してくるかな?
ルーズベルトの公約上自分から宣戦布告はしにくいとは思うが >>35
ビンソン案で生産した空母が1943年にロールアウトを始める 日米の艦隊戦力が最も縮まる時期って日本の都合で開戦したからな
アメリカの都合で開戦されると絶望だろ アメリカの都合で開戦は不可能
9.11みたいに「自由と平和を愛するアメリカが攻撃されました」の口実が必要 確かに露(ソ連)を恐れていた
だから真珠湾じゃなくてウラジオを街ごと壊滅させるべきだった
しかし何時かは米国と戦わなければならない運命ではあった >口実が必要
マニラ湾に停泊している戦艦アリゾナあたりが謎の爆沈w >>34
>インド兵もイギリスに味方したのが250万人で、
『ドイツ打倒優先』だろ? インド人250万がノルマンディー上陸したのか? イギリスにちゃん味方したインド人250万はどこへ向かった? 『ドイツ打倒優先』は嘘か? 片手間の対日戦争に250万もの軍隊使うのは愚の骨頂、その大半は欧州へ向かったに違いない。 イギリス軍は給与もいいし福利厚生もいい。
司令官はインド兵の部下の命もちゃんと考えて、撤退や降伏してくれる
インド国民軍に参加したインド兵は、日本軍のブラック現場を体験したあとは戦意消失
イラワジ会戦で要所でイギリスに降伏したインド国民軍は戦況に多大の影響を与えた イギリス軍ならメシは食えるからな。
日本軍は・・・w イギリス軍ではたべられないけれど
日本軍ではたべられる イギリス軍にはたべられないけれど
日本軍にはたべられる >>44
>イラワジ会戦で要所でイギリスに降伏したインド国民軍は戦況に多大の影響を与えた
?
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える
事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、どっちせよ(そのように実質的なも
のではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm >>31
> これくらいの大規模陸軍がないとソ連を抑えるのは無理で
南京大虐殺とは南京大勝利で、汪兆銘とかのナンキンゴキブリがわらわらと集まって南京維新政府が出来た。
それはゴキブリがゴキブリホイホイに吸い寄せられてゴキブリホイホイに入って死んでいくのと同じだ。
「子供から全てが始まる
生かしてはおけない
貴様らもみんな死ね
貴様らの民族に未来はない
共産主義は下等人種に宿る
絶滅させるべきだ
必ず遂行する
必ず遂行する!」
<炎628 かつて白ロシアで、628の村々がドイツ軍に焼き払われた>
http://wolf.adolf45d.com/eiga628.htm
「子供から全てが始まる
生かしてはおけない
中国人もみんな死ね
チャンコロに未来はない
チンピラゴロツキは下等人種に宿る
打通させるべきだ
必ず遂行する
必ず遂行する!」
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 >>44
>イラワジ会戦で要所でイギリスに降伏したインド国民軍は戦況に多大の影響を与えた
ソ連は片手間の対日戦争でも立派に樺太千島を得た。対するイギリスは? >>44
>イギリス軍は給与もいいし福利厚生もいい。
>司令官はインド兵の部下の命もちゃんと考えて、撤退や降伏してくれる
でもドイツ人から『感謝』されてるのは、専らソ連軍だけだぞ?
声明書 条約締結時の声明です。条約本文では有りません。
大日本帝国政府及ソヴィエト社会主義共和国連邦政府は 千九百四十一年四月十三日
大日本帝国及ソヴィエト社会主義共和国連邦間に締結せられたる中立条約の精神に基き両国間の平和及友好の関係を保障する為
大日本帝国が蒙古人民共和国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨
又ソヴィエト社会主義共和国連邦が満洲帝国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨 厳粛に声明す
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/NissoChuuritsujouyaku.htm
>ソヴィエト社会主義共和国連邦が満洲帝国の領土の保全及不可侵を尊重する
連合国ではソ連だけが満州帝国を公式承認している。これは流石にナチスドイツを倒した国の英断だ。
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
ソ連はドイツ人から「感謝」されてるのに、アメリカイギリス中国はそうではないよな? 何でだ? つまり満州事変以降太平洋戦に至るまでの戦いって領土拡張その実は資源の獲得だろ、素直に米国に頭を下げておけば良かったんだよ、次の世代が米国のポチになる事を考えればな、その余力で米英国と同盟して露助を叩けば良かったんだ
支那?知らんがな つまり満州事変以降太平洋戦に至るまでの戦いって領土拡張その実は資源の獲得だろ、素直に米国に頭を下げておけば良かったんだよ、次の世代が米国のポチになる事を考えればな、その余力で米英国と同盟して露助を叩けば良かったんだ
支那?知らんがな 満州事変も上海開戦も全く問題ない
そもそも南京デマ理解して、空爆だけ避難してる
最大のミスは松岡外交と海軍の対決主義で、あれでアメリカに制裁やむなしにさせた
政治的には1940年以降急失敗した。むしろ正常的にはまず上海開戦が一段落したから
セオリーはドイツが馬鹿だから、ドイツ避難と英蘭支援しかない
時の内務省、海軍、外務省の対決主義者、メディア過激派らは致命的な取り違えをして
中華戦線が収集して、ナチが暴れて、日本は米英蘭の資源に依存するなら
ソ連、米英を支援するのがセオリーだ
そもそも陸軍もノモンハンでそれんと対決不可能と、それを内閣、外務省、内務省でも明らかに理解した
ここはナチ追放の一択で、当面の敵は倒せたから、米英支援と国力増強しかない
なのにアイツラ馬鹿だから「南方資源獲得冒険外交」に走って失敗した。
ただそれだけ
外務省の冒険主義
海軍の幼稚すぎる大戦ロケールを描いた冒険主義者、派閥拡大主義者
メディアの馬鹿すぎた国家というか資源拡大主義論調
これが全部致命的に間違えた
この南方冒険主義が決定的に失敗で、1940-1941年のこの幼稚な冒険主義と安易な計画が失敗 あれ米英ロ支援に回れば、日本はロシア、蘭に物資を供給する基地になれた
それだけで少ない工業輸出を伸ばせた、当時の輸出高はしらないが50-100億も輸出を拡大できた
またソ連との目先戦争は避けられるし、溜飲を下げれるし、ノモンハンで古い日本軍相手に南進できないと思わせたから南進リスクを下げ
なによりあそこでソ連支援に回れば、ソ連の敵意をけせた
あの時ソ連は日本を挑発し、憎悪をためまくったが、ソ連もシベリアの事で決定的な憎悪を持ってた
そういった事情を理解してない能無し外交=松岡
そしてこういった路線なら軍事力拡張も容易で、莫大なインフラ投資計画もいけた
当時建設RTSなので対決主義になった
最大のミスはナチス接近→ソ連同盟の松岡外交で、あそこでナチス避難、米英支援してれば
仏員駐留すら、押し切れた
あれで蘭とイギリスにナチス派と解釈される状況を世論、国会、外務省が作ったから失敗した
陸軍悪玉じゃないし、海軍すら冒険主義者だが悪玉といえない。
最大的に松岡、世論、内閣の戦争主義論調、南方外交で致命的に失敗し
失敗したのは政局と外交面だ、その責任をごまかす魔法の杖が軍部悪玉論 長文の割りに物凄く文章の下手な人がいるけど
知能に障害があるのか精神に障害があるのかどちらだろう >>57
>当時の輸出高はしらないが50-100億も輸出を拡大できた
無理だろ、
史実と比較にならない大艦隊で陸軍兵士満載した輸送船を無線封止で長距離を移動だろ
途中で迷子になったり互いに衝突して大混乱になって船の位置も見失い
勝手に漂流したり進路間違って発見されたりして最初の奇襲すらメチャクチャになる気がする
真珠湾攻撃って2次攻撃の段階で残った戦力で早くも立ち直ったアメリカ軍の反撃で
航空機に犠牲続出でびびり、結局は撃退されてしまったってのが本質だろw
それを大勝利って発表したから大勝利にされてるだけだけど
ミッドウエーで爆弾の種類でまごまごしてる間に4隻も空母が沈んだ世界でも
稀に見るお笑い軍隊が日本軍なのに何を期待できるというのか
南雲の問題じゃなくて小沢でもそうだしな、
アウトレンジとか言って目いっぱい飛行機とばしたらまともにたどり着けなくて
全部ばらばらに到着してにっちもさっちも行かなかったのがマリアナ戦だろ
VTとかレーダーとか言ってるけどそれ以前に組織的な戦いにすらなってなかったそうだが
もっと日本は小国、将官は無能、国内では信号機も守らず威張り散らす一方、
外交ではまるで釣り合わない講和条件などを害児のように叫んでいた
漫画みたいな軍だという事をしっかり認識してもらいたいわ >>34
>結局ビルマも民衆はイギリスに味方したし
>インド兵もイギリスに味方したのが250万人で、
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html 1945年8月のソ連でさえ北海道爆撃は手付かずだったのに、太平洋戦争の日本航空隊は、
開戦から僅か数日の間に真珠湾とマレーとフィリピンを同時攻撃してるって凄くね?
ミッドウェー海戦でさえ勝てればハワイも取れて日米講和というシナリオが見えて来ないか? >ミッドウェー海戦でさえ勝てればハワイも取れて日米講和というシナリオが見えて来ないか?
アメリカにとってうまみのある講和ならな。
そもそもアメリカって外交的に単独講和可能なのかね? 張作霖爆殺事件 河本大作
満州事変 板垣征四郎 石原莞爾
盧溝橋事件 牟田口廉也
一夕会ってろくでもない事ばかりしているよな
戦争責任をとるべき連中が全く糾弾されていない 永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、東條英機、河本大作、山岡重厚、土肥原賢二、板垣征四郎、磯谷廉介
山下奉文、鈴木貞一、土橋勇逸、鈴木率道、石原莞爾、牟田口廉也、田中新一、池田純久、村上啓作、武藤章、
辻政信、梅津美治郎、荒木貞夫、真崎甚三郎、小畑敏四郎、鈴木卒道、柳川平助、香椎浩平、真田穣一郎、
富永恭次、服部卓四郎
(信奉者)磯部浅一、安藤輝三、村中孝次、野中四郎、栗原安秀、相沢三郎
河本大作・・1928年【張作霖爆殺事件】
板垣征四郎&石原莞爾・・1931年【満州事変】
相沢三郎・・1935年相沢事件
磯部浅一&安藤輝三&村中孝次&野中四郎&栗原安秀・・1936年二・二六事件
牟田口廉也・・1937年【盧溝橋事件】、1944年インパール作戦
柳川平助・・1937年【南京事件】
池田純久・・1938年国家総動員法
磯谷廉介&辻政信・・1939年【ノモンハン事件】
東條英機・・1941年【日米開戦】
山下奉文・・1942年シンガポール華僑虐殺事件&マニラ大虐殺
富永恭次・・1944年特別攻撃隊
土橋勇逸・・1945年明号作戦
辻政信&服部卓四郎&田中新一・・開戦強硬派
板垣正(板垣の次男)・・1978年【靖国合祀】(日本会議役員、遺族会顧問)
山岡重厚・・遺族会顧問
鈴木貞一・・三奸。平成まで生き残る
海外から叩かれていることって全部一夕会の軍人が悪いじゃん >ミッドウェー海戦でさえ勝てればハワイも取れて日米講和というシナリオが見えて来ないか?
「ミッドウェー勝利」したところで「ハワイも取れて」が無理
仮にミッドウェーで勝利しても、どう考えたって日本がハワイ攻略に着手するまで数か月〜半年はかかる
その間にもう後がないアメリカは欧州支援をいったん打ち切ってでもハワイをガチガチに固めるだろうから、到底攻略なんて出来ない >ミッドウェー海戦でさえ勝てればハワイも取れて日米講和というシナリオが見えて来ないか?
講和によるアメリカのメリットはなんだろうね? >>64
> ミッドウェー海戦でさえ勝てればハワイも取れて日米講和というシナリオが見えて来ないか?
ミッドウェイ海戦で三隻の空母を全滅させれば、ハワイを孤立させることも可能かもしれない。
航空戦も、ジョンストン島にゼロ戦を進出させ、ハワイに反復攻撃を仕掛けることは可能。
問題は、そこから先が続かないことだ。
相手は生産力に任せて次々と戦闘機をハワイに送り込んでくる。
燃料の備蓄は大量にある。場合によっては空輸も可能だ。
ハワイ攻略には10個師団以上の陸上兵力が必要だろうが、それを短時間に用意する余力は陸軍にはないだろう。
時間が過ぎる間に相手は空母を生産して戦力は昭和18年末には逆転する。
一年余りの優位を活用するだけの国力は日本には無かったと思うよ。 真珠湾攻撃以降は、アメリカの戦争目的は日本破壊になってしまった、講和なんて絶対ない。 >>72
英語版のリンクにアメリカの戦争犯罪があるけどちゃんと書いてあるな
日本語版の日本の戦争犯罪の項と見比べると知性の圧倒的な差を感じてしまう 大東亜戦争に勝ちたいなら、まず日中戦争に勝たないといかんのでは。
全ての元凶だし。 http://gazou.gundari.info/images-2ch-201401/20141030204201.png
http://pbs.twimg.com/media/BpPGsOKCcAAmp_8.jpg
東條英機陸軍大将兼首相の「陸軍航空士官学校電撃視察」(昭和19年4月)時の訓示
「敵機は精神で落とすのである。機関砲でも落ちない場合は体当り攻撃をしてでも撃墜するのである。即ち精神力が体当りという形になって現れるのである」
東條英機首相
「戦争は精神力と精神力の戦いであり負けたと認めれば負けであり国土が廃墟になろうとわが身が滅びようと負けを認めなければ負けにはならない」
当時の馬鹿ウヨ
「敵、北より来たれば北条、東より来たれば東条、天意か偶然か、めでたきまわり合わせと存じます。」 東条首相はさすがいい事言ってるよな、
議論は言葉による戦争である
議論は精神力と精神力の戦いであり負けたと認めれば負けであり
論理が無茶苦茶であろうとわが身がインチキ卑怯呼ばわりされようと
負けを認めなければ負けにはならない!! 貧しい出自の連中が成り上がれる組織が日本軍だった。
学費タダで学べて大学まていけば
勅任官にまでなれて天皇の側近にまでなれた。
だから旧日本軍の幹部って貧しい出自がメチャクチャ多い。
だから成り上りの連中が仕出かした国家の破滅が8月15日とも言える。 ところが226で統制派が勝ってから士官学校に入れるのは原則家柄がいい人や
官僚・軍人の子息に限られるようになった
だから太平洋戦争時で士官学校卒の若手尉官の戦死率が低いのはそのせい
親が手を回したり忖度したりして最前線を避けてもらえた
逆に大卒任官とかが最前線送りにされやすかったり特攻の駒にされたところがある だから日本は米英とは戦争しないで中国とだけ戦争すれば絶対に勝ってた。これは自信を持って言える。 CIAが作成した「敵組織の生産性を低下させる工作マニュアル」が日本官僚そのまんま
●「注意深さ」を促す。スピーディーに物事を進めると先々問題が発生するので賢明な判断をすべき、と「道理をわきまえた人」の振りをする。
●可能な限り案件は委員会で検討。委員会はなるべく大きくすることとする。最低でも5人以上。
●何事も指揮命令系統を厳格に守る。意思決定を早めるための「抜け道」を決して許さない。
●会社内での組織的位置付けにこだわる。これからしようとすることが、
本当にその組織の権限内なのか、より上層部の決断を仰がなくてよいのか、といった疑問点を常に指摘する。
●前回の会議で決まったことを蒸し返して再討議を促す。
●文書は細かな言葉尻にこだわる。
●重要でないものの完璧な仕上がりにこだわる。
●重要な業務があっても会議を実施する。
●なるべくペーパーワークを増やす。
●業務の承認手続きをなるべく複雑にする。1人で承認できる事項でも3人の承認を必須にする。
●全ての規則を厳格に適用する。 予科練では、モールス信号のキーは必ず右手で打たなければならないという決まりがあったため、
左利きの鶴田は手首の反復運動がうまくできず、訓練で毎日教官から殴られていた。
戦後、警察予備隊に入隊し、米兵からモールス信号を教わった鶴田は驚いた。
左利きの者は、左手でキーを打ってもよかったからである。
> 映画「決戦の大空へ」にエキストラで出演した前出の鶴田重郎は「予科練時代の一般教科は、
> 中学での授業の延長のようなものでしたから、とくに理解ができないと感じたことはなかった
> ですね。ただ、通信術では、私は左利きのため送受信訓練が苦手で、担当教官からよく、鉄拳を
> ふるわれましたよ」と述懐した。
>
> 海軍では通信術であるモールス信号の送受信訓練はかならず右手でキーを打たねばならなかった。
> 鶴田は何度やっても反復運動という手首の微妙な動きができず、教官に何度も殴られた。
> その鶴田は戦後、警察予備隊(現・自衛隊)に入隊し、米軍との大きな違いに驚いたという。
>
> 「米兵と一緒になって訓練を受けたさい、合理主義のアメリカの軍隊は昔から、左利きの者は
> 左手を使って使ってキーを打ってもよいそうで、実際にそれを見てびっくりしたことがありました。
> 精神主義だけの日本は、戦争でアメリカに負けるわけですよ」
>
> 「土門拳が封印した写真 鬼才と予科練生の知られざる交流」倉田耕一 新人物往来社 P62-63 >>84
これはいいものを見たw
日本のデメリットとアメリカのメリットが良く分かった
今度は
日本のメリットとアメリカのデメリットが良く分かるものが見たい >>85
CIAの前身のOSSの作成したやつだよね。
官僚もだが会社もそのまんまw 軍人は官僚だから自らの失敗を糊塗する為ならいくらでもリソースを注ぎ込む
現代にも共通する国に巣食う病巣だわ ネトウヨも軍を持ちたいにしてもまず大日本帝国を全否定するところから始めるべきだと思うんだが
肯定してる連中には誰もついてこねーからな >>95
>ネトウヨも軍を持ちたいにしてもまず大日本帝国を全否定するところから始めるべきだと思うんだが
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 >>94
むしろ中国には断固撤兵しないといいながら、
一方では日中戦争にいくらでもリソースを注ぎ込まなかったから、
太平洋戦争になってしまった
第二次世界大戦では国家予算の280倍というふざけた軍事費使って
陸軍630万、海軍210万という大動員していたのが日本
死に物狂いになったらこの程度の国力はあった
最初からこのレベルで中国を攻め上げてたら中国の全土占領して勝てるし、
アメリカと揉めたって太平洋戦争なんて既に余力がなくできるはずもない
中国舐めて全面戦争になって困ってたのに英米舐めてヒトラーと組んで脅迫したら
引き下がると思ってるんだからどうしようもない
>>96
大陸打通作戦やるのが小規模でしかも遅すぎるんだよ。
1939年ごろには200万人くらいの規模でそういった作戦を
数か所でしてないと話にならない
戦況に釣り合わない条件で講和を押し付けようとしては蒋介石に無視された
直接中国を捻り潰す努力もせずに、楽に勝とうと支援するアメリカを牽制しようとして
こともあろうに人種差別主義者のヒトラーと組んで余計に敵視された
ヒトラーがフランスを占領したらフランス領を襲い、ソ連に攻め込んだら、
中立条約も無視してソ連国境に大兵力を貼り付ける
こんな事するから関係国から嫌われる
挙句の果てに石油禁輸されて国力が違うからやめろと言われてるのに
なんとかなると思って中国如きで100万以下の軍勢を展開しただけで
泥沼とかほざいてた国がいきなり対米戦
アジア解放の聖戦とか言っても人種差別主義者のヒトラーと組んでる時点で嘘くさい 勝てるわけねーだろ
まず日本国内が、陸軍の暴走から始まるトンデモ連発のせいでぐちゃぐちゃ
勝勢なら、もっと勝てると無謀な戦線拡大続けて
負けそうなら、史実のように諦め悪く聖戦だの怒鳴り続けて犠牲者増やし続けて
結局、ボコボコにされるまで戦争終わらせる手段を講じようともしない
負けしかない 中国への軍事侵略を深めれば深めるほど戦略物資である金属や石油の需要が増加するけど
中国側に立つアメリカとイギリスの経済圏にその供給を求めなきゃならないっていう意味不明な状況に陥ってた
日本円なんてゴミクズだから国際決済に必要なドルやポンドを得るために英米に何か輸出しなきゃいけないんだけど当時の日本の主力品目はなんと「糸」
当然大幅な輸入超過であっというまに貧弱な外貨準備は底をつく
中国での残虐行為が国際社会に知れ渡ると必需品でも何でもない日本製品(糸)なんて買われなくなった
さらに経済制裁でとどめを刺されてとまぁ普通ならここで中国から撤退するところだがまともな政治家は軍人のテロで既にブッ殺されてたので英米を後ろからぶん殴って資源を奪い取ることにした
結果は知っての通り 成りすまし朝鮮人がよく使う偽名
青木・青山・秋本・秋山・新井・岩田・岩本・飯田・飯島・伊東・伊藤・小川・
岡田・岡本・金田・金村・金本・金山・金岡・木村・木本・木山・木下・工藤・
熊谷・小林・近藤・佐藤・高山・徳山・徳田・徳永・富永・豊田・中村・中山・
馬場・林・東・平田・広瀬・福田・福本・福永・藤原・藤井・星山・前田・
松山・松田・松浦・南・森本・安田・安原・山田・山本・吉田・和田・渡辺・
西原・松原・水原・清原・金子←NEW!! 株式会社アーネットは家賃回収業や不動産業をしているが裏では架空請求メール業や違法金融業をしている。
株式会社アーネットからメールや電話着信来ても無視するか警察に通報して。
株式会社アーネットは福岡に本社があるけど全国ランダムにメールや電話して架空請求カモを探しているから気をつけて。 大東亜と付いちゃうとなるとまず中国にどう勝つかだ
海軍予算を半分に減らしてもちょっと微妙なラインで、
海軍にまでクーデター起こされたら国がもたん 亀井宏著
ガダルカナル戦記
ミッドウェー戦記
上は中将、下は2等兵まで取材を重ねた力作です。
私の中では最高の戦記です。皆さんも是非購読してみてください。 >>100
>英米を後ろからぶん殴って資源を奪い取ることにした
>結果は知っての通り
1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約により、ポツダム宣言とカイロ宣言は破棄された。
そしてこの条約には中国が参加していない。つまりこれは大陸打通作戦の大勝利がもたらした結果なのだ。
反ファシズム聯合国からして対日戦争がオマケということなら、日中戦争はオマケのそのまたオマケで、
中国は戦勝国の地位を得られないことになる。ちなみに日中国交回復は1972年、米中国交回復は1979年。
○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html
そして日本の歴代内閣はこのサンフランシスコ講和条約を盾に戦後補償の全てを蹴り飛ばした。
だからこの4月28日を「大陸打通作戦勝利記念日」として、日本人であることの喜びを感じるべきなのだ。
いくらポツダム宣言の受諾を「無条件降伏」と呼ぼうが、サンフランシスコ講和条約でポツダム宣言
そのものが無効化されており、「つまびらかに読んでいない」(安倍首相)で済んでしまう。
つまりポツダム宣言は「紙くず」、そうでないなら台湾の帰属先は何処なんだと問いただせば良い。
ロシアはクリミアを取れるが中国は台湾に手が出ないから、台湾の帰属先は未定のままだ。
なおロシアのクリミア領有と中国の台湾領有とを常に比較することで、中国に恥を掻かせることができる。
まさにクリミアと台湾は、バグラチオン作戦と大陸打通作戦の再現ビデオに他ならない。 【軍事ワールド】
韓国潜水艦隊に忍び寄る影…ドイツ「大西洋の狼」の“開店休業”に見える儚い実力
http://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070003-n3.html
武器には、その国の国力や戦況にあった性能が求められる。第二次大戦時のドイツでは、日本帝国海軍(IJN)にもU−ボートに
乗ってインド洋を荒らし回って欲しいとの願いから、日本にU−ボートの製造を打診し、数隻を日本に供与している。
しかし大型の航洋型潜水艦を運用していた日本帝国海軍にとってU−ボートは小型に過ぎ、運用方法が大きく異なった。またドイツの
溶接技術など一部の特殊な製造方法は戦時下で短期間に導入することは難しいことなどから「日本製U−ボート製造」は幻に終わった。 満州、大連の大慶油田を開発出来ていれば。
陸軍の飛行機が石油が自噴しているのを空から見つけたが、満鉄調査部の元朝日新聞貴社の尾崎穂積が握りつぶした。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E5%B1%B1%E5%B8%82
鞍山市(あんざん-し)は中華人民共和国遼寧省中央部に位置する地級市。
古くから鉄が産出されることが知られており、現在は中国でも最大の製鉄所があり、「鋼都(鉄の都)」の異名を有す。
(中略)
□鉱業
周囲では磁鉄鉱、褐鉄鉱、菱鉄鉱などの鉄鉱石のほか、滑石(タルク)、玉石(ヒスイ)などの鉱物資源を豊富に生産する。
鉄鉱石の埋蔵量は100億トンと中国全土の4分の1を占めるほか、南部で採掘されるマグネサイト(マグネシウムの原料)は世界の埋蔵量の4分の1である。
滑石は中国の三大産地に入るほか、岫岩では玉石が豊富に産出される。
□製鉄業
鞍山は前漢以来、鉄鉱石採掘と製鉄で知られてきた。
清末期以後製鉄は再び盛んになり、満鉄の投資による鞍山製鉄所の開設から大コンビナートとなった。
日本の敗戦後、製鉄所施設はソ連が運び去ったが、中華人民共和国の時代に鞍山鋼鉄公司として再建され、新中国最初期の大型鉄鋼コンビナートとなった。
□その他
製鉄業の他、冶金、石油化学、機械、紡織、服装、皮革、電子機器などの産業がある。農作物はとうもろこし、コーリャン、稲、大豆などがある。
南果梨と呼ばれる梨と、岫岩玉と呼ばれるヒスイが特産品である。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%92%AB%E9%A0%86%E5%B8%82
撫順市は遼寧省北部に位置し、瀋陽市からの距離は約45kmと、省都の衛星都市として機能している。かつての炭鉱都市で、市内には渓谷のように巨大な露天掘り炭鉱跡が現在も残されている。
(中略)
□巨大炭鉱開発
撫順炭鉱は、七百年ほど前に、高麗人によって採掘された。
当時は陶器製造の燃料として使われていたものと伝えられる。
その後、清朝は「風水に害あり」との理由から採掘禁止としていたが、1901年、清国政府の許可の下、清国民族資本により採掘が開始された。
その後ロシア資本が進出、東清鉄道の南満州支線(ハルビン−大連間)が建設された後に奉天(瀋陽)−撫順の支線も敷設され、撫順炭田には東清鉄道の「鉄道付属地」(中国の行政権・司法権などが及ばない治外法権地域)が設置された。
日露戦争後の1905年には鉄道及びその付属地は日本の手に渡り、1907年には南満洲鉄道(満鉄)の管理下に移った。
炭鉱周辺は広大な鉄道付属地(満鉄附属地)となり、駅と炭鉱の周囲に新市街が建設され、満鉄による行政が行われた。
露天掘りによる大規模な石炭採掘が行われるなど満鉄を支える重要な財源となり、撫順の付属地の人口は10万を超え満鉄附属地の中でも最大であった。
また撫順の石炭と鞍山の鉄鉱石を組み合わせて、鞍山製鉄所(後の昭和製鋼所)が稼動した。
□日本との関係
抗日ゲリラによる満鉄施設襲撃が激化していたが、満洲国承認日の1932年9月15日、抗日ゲリラ多数による撫順炭鉱襲撃事件により炭鉱側職員の惨殺と施設の焼き討ちにより操業が停止する事態になった。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%B8%93%E6%B9%96%E7%82%AD%E9%89%B1
から引用。
本溪湖炭鉱(ほんけいこたんこう、本溪湖煤礦)は、
1905年に大倉財閥の投資による日中合弁事業として採掘が開始された満州国の炭坑、
またポツダム宣言の受諾に伴い閉鎖されたその合弁会社。
現在の中国遼寧省本渓に位置し、40−50万トン級の産出量を持っていた。
『南満洲鉄道株式会社撫順炭鉱の経営活動―
創業から第一次世界大戦期までを中心として』庚柄富 PDFファイル
から引用。
本溪湖炭鉱はコークス用(精錬、製鉄)に最も優れた炭質をもっていた。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%8D%97%E5%B3%B6
資源
海南島は鉱産資源も多く、鉄鉱石・錫・タングステン・金・水晶・オイルシェールなどが知られている。
良質の鉄鉱石を産出する石緑鉄鉱山は内外に知られ、海洋資源も非常に豊富である。
楽東県の鶯歌塩田は中国南部最大の塩田である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%8D%97%E7%9C%81
海南省(かいなんしょう、中国語:海南省、??音:H??in??n Sh??ng、英語:Hainan)は中華人民共和国最南部の省。
海南島と付属の島嶼からなる。
省都は海口市。
(中略)
日中戦争中、日本軍が島を占領し、ビルマ独立の志士アウン・サンらの軍事訓練がこの島で行われた。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8F%E6%B2%B9%E7%94%B0
オハ油田(おはゆでん)とは、北樺太に存在する油田・ガス田地帯の一つである。ロシア・サハリン州北部の都市、オハ周辺を中心とする。この名称を北樺太の油田全体を指して使用する場合も見られるが、現実にはオハ油田が北樺太最大の油田というわけではない。
概要
北樺太のオホーツク海側で最初に開発された油田である。
日本が占領中に生産を開始し、施政権がソビエト連邦に返還された後も日本が採掘権を維持した。
しかしソ連側が人員や物資の出入りを制限するなどの操業妨害をしばしば行ったことから、日本にとっての経済価値や戦略価値はあまり大きくなかった。
1941年に日ソ中立条約締結の条件としてソ連に返還された。
第二次世界大戦の後、1961年にはサハリン州全体で168万トンの石油が生産されていた。
1970年代には、年間約250万トン程度の石油が生産されていたとも言われる。
現在では採掘量が減少し、生産はほとんど行われていない。
事実上廃鉱と言えるが、これに対し、埋蔵量が減少したのではなく、老朽化した施設を更新する事によって生産量を回復させることができるとの説もある。
しかし実際には、より生産性の高いサハリンプロジェクトの進行によって、このような意見は顧みられていない。
歴史
1880年??樺太北部で、ロシアの毛皮商人が石油の露頭を発見する。
1919年??オハ地区で日露合同の試掘が開始される。
1920年??尼港事件について責任と賠償を求め、日本のサガレン州派遣軍が北樺太を占領、樺太での石油試掘が中断される。
1923年??試掘再開される。
オハで油田が発見され、同年中に最初の油井が生産を開始する。
1925年??日ソ基本条約締結される。これによって、日本が北樺太での石油採掘権と試掘権を得る。また、北樺太から日本軍が撤兵。
1926年??北樺太石油会社(英:??Northern Karafuto Oil Consession)設立。初代社長は中里重次海軍中将。
1944年??北樺太利権移譲議定書が締結される。これによって、北樺太における日本側の採掘権が消滅する。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%BA%E9%80%A0%E7%9F%B3%E6%B2%B9
北海道人造石油(ほっかいどうじんぞうせきゆ)は、かつて北海道滝川市に存在した石炭化学メーカーである。
概要
1939年(昭和14年)、第二次世界大戦直前の石油需給が逼迫する背景の中で設立。ドイツから技術移転した石炭液化技術(フィッシャー・トロプシュ法)により、人工的な石油の製造を目的とした株式会社。
出資者は、特殊会社である帝国燃料興業が中心となり、三井、三菱、住友の三大財閥(前二社は近隣の石狩炭田に炭鉱を有していた)のほか、
北海道炭礦汽船などであり、資本金7,000万円と当時としては破格の財務規模を有していた。
これに加え、人造石油製造事業法に基づく多額の補助金がつぎ込まれたため、資金は潤沢であった。
しかしながら太平洋戦争に突入すると、資材不足などがたたりプラントの稼働率は低迷。
230,000 klの生産予定は7,000 klの生産に留まり、石油不足の解消に貢献しないまま終戦を迎えた。
戦後も僅かな期間、プラントは稼働したが、元々採算が合わないこともあり、1952年(昭和27年)に経営破綻に至った。
施設の一部として会社法人の本社建屋が陸上自衛隊滝川駐屯地本部隊舎として、研究所及び工場としての建築物が留萌駐屯地に残されている。 https://ameblo.jp/japmasa778/entry-12234647384.html
ところで、「満州」といえば、多くの資源が埋蔵され、実際、戦後「大慶油田」「遼河油田」などが開発されています。したがって、これらを戦前の段階で発見、開発していれば、南方の資源地帯確保を目的にした「大東亜戦争」も起こす必要はなかったはずです。
実際、戦前の日本は、昭和7年の満州国建国以前に少なくとも2回、建国後にも4回、ソ満国境に近い満州東南部のジャライノールと満州南部の「阜新」で石油探査を行っています。とくに「阜新」は、戦後発見された「遼河油田」から山ひとつ越えたところにあったため、
昭和12年11月からボーリング調査が始まり、昭和15年5月には深度100mほどのところで約20??ほどの石油が出ています。また、その約1年の間に、ロータリー式で11坑、綱式掘削機で17抗、ダイヤモンドボーリングで18抗の合計47抗程度の試掘を行いました。
が、この結果がどうであったのかは秘密のまま、昭和16年以降、開戦により南方資源地帯確保ができたためか、なぜか突然、満州での探鉱作業は全て中止されます。
(中略)
が、問題はそれだけにとどまらず、背後に満州での石油開発を中止させることで、日本を対米開戦に追い込みたい勢力の存在とその意図が透けて見えてきます。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%85%B6%E6%B2%B9%E7%94%B0
大慶油田(たいけいゆでん、ターチンゆでん)とは、中国東北部黒竜江省に存在する油田である。命名は地名からではなく、油田が建国10周年の節目で発見されたことに因む。
100km四方に広がる中国屈指の大油田であり、油田の開発は、第二次世界大戦後輸入に頼っていた中国の石油事情を一変させた。2000年前後から原油生産は減退傾向にあり、天然ガスの生産にシフトしつつある。
歴史
1953年??-??中華人民共和国国務院地質部長のモンゴル族地質学者李四光が松遼盆地の調査を開始
1959年??- 原油が確認される
1960年〜1963年??- 掘削開始
1963年 - 生産開始
1997年??- 原油生産量として過去最大の5600万トンを記録
1999年??- 採算部門を集約した株式会社中国石油天然気(中国石油)と非採算分野の国有会社中国石油天然気集団公司に分離
2002年??- 大規模なデモの発生
2003年??- 対日輸出終了
2004年??- 天然ガス噴出事故の発生
2005年から2007年??- 生産減退をカバーするための新たな鉱区(油田、ガス田)を探索した結果、原油1億トン、天然ガスが1000億立方メートルを発見したと報道されるが、事業化できるかどうかは定かではない。
キーワードとしての大慶油田
1960年代の開発時には、多数の労働者を人海戦術で投入。
他国(少なくともアメリカ合衆国)の技術を用いずに施設を完成させたとして、労働者の模範的職場として賞賛され、「工業では大慶に学べ」というスローガンが生まれた。
最盛期には日本の原油輸入量の3割に相当する年間5000万トン以上の生産量を誇った。
しかし、中華人民共和国の世界貿易機関加盟により国際的な価格競争にさらされ、1990年代以降は著しい合理化が進められた。
この結果、労働者の大量リストラ、レイオフが発生。
中国では珍しい退職者も含めた大規模デモが発生した。
また、大規模な天然ガス噴出事故に伴う労働災害が発生するなど、中国における労働者事情を語る上で、未だ頻出するキーワードの一つとなっている。 https://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/54632966.html
よく大東亜戦争に関するIFで、満洲にある大慶(ターチン)油田が戦前に発見されていたら歴史は大きく変わっていたかもしれないと言われます。
旧満州地区、現在の黒龍江省のハルビンとチチハルの間に広がる松遼盆地の湿原に存在する大慶油田は
1959年に発見され年間4000万トンから5000万トンの原油を産出する大油田です。
陸軍燃料廠(石井正紀著 光人社NF文庫)などを読むと、戦前に発見するチャンスは十分にあったとされます。
ところがそれに対する反論として大慶油田の原油は重質油で、例え発見しても戦局に寄与することはなかったと主張する者がいるのです。
私は素人なので何とも言えないのですが、ネットで調べてみるとある技術者の方の意見として、
「大慶油田の油は確かに重質油ではあるが、現在開発されている非在来型の重質油と比べれば
ずっとまともな油質で輸送が難しいのなら油田近くに製油所を作れば問題ない」
とのこと。
その方は、大慶油田の重質油云々で非難する連中は
大日本帝国無謬論者で発見できなかった失敗を認めたくないための
言い訳に過ぎないと述べておられました。
ここで重質油とは何ぞや?と思われる方がいると思います。
ググってみると「アスファルトや重油などが得られる、比重が大きく粘り気の強い原油」とのこと。
これなら効率は悪くなるものの油田の近くに製油所を設ければいいだけだと素人考えでも理解できますね。
重油が多く取れるのなら艦船動かし放題、アスファルトなら道路や飛行場作り放題でラッキーとさえ思います(苦笑)。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E6%B2%B3%E6%B2%B9%E7%94%B0
遼河油田(りょうがゆでん)は、中華人民共和国の3大油田の一つ。中国の石油天然ガス会社である中国石油天然気集団公司に属している。
概要
1973年に発見され、その中心地である遼寧省の盤錦市は急速に発展した。
2004年現在、原油の生産高は1200万tである。 日 本 人 の レ ベ ル の 低 さ
竹下雅敏「どうも日本人のレベルの低さというのは、
ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、
日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」
矢追純一「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。
ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKe tUkq8
メドヴェージェフ『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた。
アメリカが公式に認めないなら、クレムリンは独自に情報公開する予定だ』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ
ウ サ ギ の よ う な 小 動 物 は 月 面 に 存 在
世界中で現れているミステリーサークルは、当初イギリス南部を中心に出現していた。
なぜならそこにマイトLーヤが居られたからである。
2017/09/signs/670
ノルウェー上空の渦巻きは宇宙船によって生じたものであり、
山の背後から空に上昇して、意図的に注意深く渦巻きをつくったのです。
magazines/swl9d8/ahwpdf/cwe6t0.html
物質的住居の名残はまだ残っており、例えばウサギのような小動物は月面に存在します。
magazines/swl9d8/60wbw5/ou99he.html
いわゆる科学者や専門家たちの絶望的な望みは、
人間の目が捉える証拠を否定するのには役に立たないことが証明されるだろう。
2017/09/signs/670
火星には実際、私たちの惑星よりも多くの人々がいます(90億人)。
magazines/j540f8/60wbw5/locys5.html
火星はこの太陽系の宇宙船の「工場」です。そこで全宇宙船の90%がつくられます。
火星の人々は地球人よりも小さいです。私たちにとっては彼らの姿は見えません。
magazines/ahjzfl-1/r63ukg/m0gkne.html ロシアは「おとぎの支配」だな。好きだから小説にでも書いてくれ。 >>1
勝つも負けるも時の運
ならば動かす天の運、と何がどう動いたかを客観的に眺めることだ。 ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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H6MNQ 東郷は外務省顧問の佐藤尚武にたのんで「ハル・ノート」の写しを同じ外務省の先輩の吉田茂の下へ届けてもらった。
吉田と彼の義父、牧野伸顕の意見が知りたかった。
牧野は大久保利通の次男で、外務省へ入りイタリア、オーストリア・ハンガリー公使を歴任した。帰国後は第一次、
第二次西園寺内閣で文相、農商相、第一次山本権兵衛内閣では外相を務めた。武力侵略を批判し、経済外
交の推進を図る親英米派の外交官だった。のちに宮内大臣を経て内大臣に修身し、昭和十年に引退したが、
政・官界に対してまだ大きな力を持っていた。
牧野は2.26事件で危うく命を落としかけてからは、指導者としての意欲を失ったらしく、牧野からはメッージがなかった。
代わりに吉田茂が官邸へ駆けつけてきた。だが、彼はまだあきらめてなかった。 「これは最後通牒じゃないよ。どこにも交渉打ち切りとは書いてないじゃないか」
書斎で吉田は「ハル・ノート」の写しを振り回した。
東郷は苦笑してかぶりを振った。明記していなくとも、これまでの交渉経過から見て、他に解釈の使用がなかった。
「いや、先方は最後通牒のつもりかもしれん。しかし、気づかないふりをすればいいんだ。交渉を続けてくれ。最後
の最後までマムシのように食いつかなくては。」
「連絡会議のメンバーは全員、交渉打ち切りの気でいます。アメリカと話し合いをしようにもこちらから条件を出し
ようがない。ハル・ノートで全員さじを投げたんです」
たとえ交渉を再開できたところで、十一月三十日いっぱいに話がまとまらなければ自動的に開戦となる。
前回の御前会議でもう決まったことなのだ。この条件をのまない限り、十一月末を期限とする交渉の継続さえ
認められなかっただろう。陸軍は十一月十三日、海軍も二十日が交渉継続の期限だと執拗に言い張っていた。
作戦上の理由かららしい。まだ東郷は聞かされていないが、陸海軍の間では開戦の日が既に決まっているようだった。
「ではきみ、辞表を出せ。外務大臣が辞めれば閣議は停頓する。近衛公も君も軍部と衝突してやめたとなれば、
世間も軍部の言うことに疑いを持つようになるだろう。軍部も少しは反省するかもしれん。」
「しかし、軍はもう動き出しているんです。詳細は分からないが、作戦は始まっているらしい。とても反省の段階では」
「辞表を出せば君は生命を狙われるかもしれない。しかし、死んでも男子の本懐ではないか。骨は俺が拾ってやる。
辞表を出して内閣の揺さぶりをかけるんだ。開戦をやめさせる手はほかにないんだぞ。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています