終戦直後に米軍命令でアメリカ軍の輸送船を日本人で運用した話が
あって(月刊丸の回顧録)、輸送品として船上に積まれた食糧やビールは
勝手に抜き取って毎日食い放題、飲み放題。
太平洋戦争中の日本船舶ではそういう慣習だったらしい。しかし、米軍の
指定の港についたとき、帳簿をチェックした米兵がきちんと管理していて
不足品を指摘して、その港では補給の食糧をくれなかった。
そのため一転して毎日とぼしい食事になってしまい、ビキニ環礁に寄った
とき繋留された船舶から食料品をかっぱらってきて飲食。原爆実験の後だったから
放射能障害になった話が載ってたな。
もっとも船上で食糧を厳しく管理しても日本軍の場合は沈められてしまう船が
多かったから、それまで食うだけ食った方がマシだったかもしれないが。