【妄想】もしも日本が太平洋戦争開戦時に [無断転載禁止]©2ch.net

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2017/04/25(火) 11:44:15.41ID:OZlUKWPO
1915〜1945に製造された全兵器をもっていたら
米帝といい勝負になったんじゃね?

条件
@全兵器を維持、管理、運用するだけの人員がいるものとする
A年間1000万?の石油精製能力がある
166名無し三等兵
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2017/05/13(土) 21:52:28.14ID:Z7psWjvd
>>165

日本兵が潜水艦の魚雷で戦死してたころナチ兵は戦いもせず捕虜収容所で野垂れ死んでいた

一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった

ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
167名無し三等兵
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2017/05/13(土) 21:54:31.00ID:Z7psWjvd
>>165
日本軍が沖縄で米軍と死闘を繰り広げていた頃ナチは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と兵士に窮極の選択()を行わせていた

勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。

戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』

Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
168名無し三等兵
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2017/05/13(土) 21:55:47.68ID:Z7psWjvd
>>165

アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158

「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160

無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した

ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
169名無し三等兵
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2017/05/13(土) 21:58:16.35ID:Z7psWjvd
>>165
バシー海峡で沈んだ日本兵が化けてでるなら、インチキ裁判で銃殺され最後はめんどくさいから自殺を奨励されてたナチ国民はどこに出ればいいと言うんだ?

ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。

すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。

1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。

ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。

すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。

メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。

アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
170名無し三等兵
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2017/05/13(土) 21:59:41.59ID:Z7psWjvd
>>165
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。

負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。

幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに

ナチスの戦争 1918〜1949 リチャード・ベッセル

ナチ兵には『全自動餓死兵士』というあだ名以外にも『全自動銃殺兵士』というあだ名も似つかわしいな
171名無し三等兵
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2017/05/13(土) 22:01:50.14ID:Z7psWjvd
>>165

しかしナチ党には同性愛者が多かった。
ナチスの私設警察だった「突撃隊」はレーム司令官がホモだった。
そのためにレームは性癖が同じような人間を突撃隊幹部に採用した。

ヒトラーは突撃隊がホモに支配されたと知ると怒り、SS(ナチス親衛隊)にレームと突撃隊を粛正させた。
そして突撃隊の大半をSSに統合した。
これにより、ナチスでは秘密裏に「ホモ人脈」が築かれていく。
SSを隠れ蓑に、ゲシュタポ(秘密警察)やSD(SS情報部)では同性愛行為が当たり前に成った。
また同性愛者の将校らは、同じような性癖の人間を、同族意識から幹部に採用した。

国家社会主義青年団などナチスの青年組織から、美少年がリクルートされたり、
ポーランドやフィンランドなど外国からも大量に、少年愛の為に青少年が誘拐された。
SSの根底に有ったのは同性愛だった。


真面目に戦争もせんで、ホモがホモを弾圧してたナチ
こんな池沼上級国民(ナチ党員)のアホ作戦のお陰で国会議事堂に赤旗が翻るまでの完全敗北
近代戦でここまで徹底的に負けた軍隊はナチ軍以外にないだろう
172名無し三等兵
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2017/05/13(土) 22:05:53.22ID:Z7psWjvd
>>165
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱ったものだった。
その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。
この場合、われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死することは間違いない。
最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、穀物はその次だ。
現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」

「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201

>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる

ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めた。

こんな行き当たりばったりで近代戦を戦ったのはあとにも先にもナチだけだろう
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