日本軍は火砲導入に際してWW1に直接参戦までしてないから、遅れてはいたよ
そして経済都合と技術都合で遅れまくったけど、91式榴弾まで完成させたあと
それらの役不足性を30年代に理解して96榴弾を研究、生産した

91式榴弾はインフラやコスト都合で役不足を理解してか、90式野砲と並んで研究終了からしばらく積極的に生産しなかった
けど90-91式は1939-1942年中にあらかた作り終えたらしい

以後96榴弾一辺倒の生産体制に移行したようで、合理化のために150榴弾主力に移行できたのは割りと評価できる

戦術的にも標準師団は90-95式野砲と91式野砲の構成ではあったが、ノモンハンの経験もあってか
105mm榴弾までは所詮軽砲で制圧力なくてコスパもよくないことは理解できてるっぽい
ここで師団レベルならともかく軍団単位の戦闘で完全に連隊以上の150榴弾の必須性を理解できてるフシがあり
96榴弾は積極的に作れてると見ていいし、生産力的にも余力がある

どちらかといえば難航してるのが96榴弾の牽引装置でコスト的にも構造的にも複雑高価だったから
生産性もよろしくないみたいであきらかに火砲より牽引車の生産性がよろしくないからこの縛りで火砲の生産を抑えてる節がある

トラクターのほうが生産が本格化するのも遅かったし、日本軍は90式-96式の間に火砲は研究完了してるが
トラックやトラクターは94-98式とあとに研究完了してる

91式の大量生産がおくれたのも、車両プラットフォームの本格生産が1938-1939に開始されたからあわせて遅れている