佐山本によると重加農は昭和17年度であらかたの生産ロットは調達終了してるはずだぞ。あとは細々と作ってた程度。
それより軽い十五糎榴弾砲ですら昭和19年度生産数ゼロってのが何より物語ってるだろ。
山砲は逆に昭和19年度に急増したな。

1944年に2295門ものsFH 18を生産したドイツとでは需要も事情も何もかも違う。道路も平原も鉄道多いじゃねえか欧州は。
日本が散々な戦域で戦って戦訓を得るうちに、軽くて運びやすい砲を選ぶのは必然だと思うぞ。
比島落としてから、1945年になって重砲が活躍する沖縄戦まで暫く、重くて運び辛い重砲の扱いにほとほと困り待ててたんだろ。

日本が九六式十五糎榴弾砲を生産のメインに据えられるとしたら辛うじて中国戦線とかだよ。
そこですらも至る所クリークが走るし地形も決して平坦じゃないから相当の苦労が伴うんだし。