戦中も150榴弾の製造少ないのは、つくれないじゃなく補給が少ないから
当時でいえば、電気式だったり、半自動装填の対空砲はめちゃくちゃ高いよ。たかいバッテリも積むし
構造が複雑でコスト以前に生産性が悪い

けど75-150榴弾類はかんたんに量産できた。補給を気にして増やさなかった。
けど「諸島や本土で要塞砲感覚で陣地内に据え付ければ補給負担は気にしなくていい」ってことを失念しがちで、製造のことはもちろんあるが
積極投入したがらなかった

日本の戦闘はフィリピン戦まで、単に1年前倒しして地下陣地を作り、150カノンを据えて量産もする
だけでだいぶかわった

それこそ満州防衛も含めて、所詮地下陣地と要塞砲感覚の運用しか補給線上と米ソの大火力と打ち合う前提ならばそれ以外なかった

30年代に国産の150榴弾、カノンを量産する。
10-20年代にカノン砲を500門輸入する
戦中にカノンを1000門作る

くらいなら余裕で耐えられた。けど
・固定砲ならば兵站、輸送負担は少ない
・大規模な150-155榴弾の投入がないと米ソとうち会えない(少数で多数で打ち合うには150榴弾)

ってことが失念されてた。あれは多大な選択上の失敗だった。
陸は150榴弾火力主義と前持った陣地準備をする
海はなにより防空力を重視した駆逐艦、重巡の増強を1936年より行う(しかし現実にはそのタイミングで大和と空母製造の主力艦主義を決めた)
航空戦力は弱い海軍機じゃなく、高稼働、高性能の陸軍機を主力にする

これだけでだいぶ変わったんだが