7 長距離援護から地上爆撃に top
 一九四五年の初夏にはいると、B29は、これまでの高々度爆撃の戦術を、夜間の中高度ないし
比較的低高度の爆撃へときりかえた。
 このことは、ムスタングにとって、長距離援護飛行の任務が終ったことを意味していた。しかし、
地上目標にたいする銃爆撃作戦は、もちろん続行された。
 東京周辺地区にたいする攻撃が行われたのは、一九四五年六月二十三日のことである。
 この日、日本機の迎撃は猛烈をきわめ、侵攻した一個飛行連隊のうち、やっと一個飛行隊だけが
〔つまり四分の一だけ〕低空に舞いおり、茨城県の下館基地に銃撃をくわえることができただけだった。
 下館上空でも六〇機以上の迎撃機が現われ、そのうちの九機を飛行場周辺に撃墜した。
 ムスタングは、一機が空戦中に撃墜されたが、パイロットは無事に脱出した。
 このように日本軍の迎撃は、ムスタングが日本本土の奥へ侵攻していくのにつれて、
その激しさをくわえてきたのだった。
 この日、日本軍にあたえた損害は、空戦による撃墜一九機、地上での大破炎上一三機にのぼった。
 ムスタング二機が被弾したが、かろうじて海上の集結点に辿り着き、パイロットはその近く
で機外に脱出して、潜水艦に収容されたのであった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/app9.htm