5 おわりに
南京国民政府は近代戦における航空戦の役割を重視し、日中戦争に先立つ 10 年たらず
のあいだに、その空軍力を急速に増大させた。そこには、「空軍至上論者」(注 44)という
べき蒋介石の個人的意向が反映されていたが、以下に述べる中国の特殊事情もまたその要
因をなしていた。まず、約 300 万の兵力を有する陸軍は指揮の統一が困難であり、海軍の
増強には多大な経費を要する反面、空軍は短期間に戦力を拡充することが可能である点で
ある。次に、軍備の相対的脆弱性のなかで、空軍はそれを補うだけの戦果を示しうる点である。
https://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf44b/$FILE/hagiwara2.pdf

>そこには、「空軍至上論者」(注 44)というべき蒋介石の個人的意向が反映されていたが、

 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模
のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし
B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う
べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で
よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、
しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか
ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。
 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、
より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究
にまたねばならない。
 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、
支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が
弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、
制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。
<中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 /朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )>