南雲長官はサイパンで海軍部隊を率い戦った
陸戦の指揮はどうだったかは、沖縄の大田少将のような陸戦のプロではなく
海軍も地上戦力はしれたものだったろうから、陸軍に預けていたのだろうか

激戦の末もはやこれまで、最後の突撃前に陸軍の斉藤中将とともに自決したわけであるが、
最後の訓示にこうある

・・・余は残留諸子とともに、断固進んで米鬼に一撃を加へ・・・

この訓示をしたならば自決ではなく、残存兵力3000による万歳突撃の陣頭に、斉藤、南雲両司令官が立ち
諸兵を率いて突撃するのではないのだろうか

年寄りが役に立つ立たないではなく、最後の吶喊を行う将兵に指揮官先頭の姿を見せ最後のはなむけとして
勇気を与えることはできなかったのか

もちろん、同様の場面では自決した将官のほうが普通で、また古来、武将は最後ともなれば
大楠公、信長公、大西郷まで自決がスタンダードで、南雲長官がその例に倣ったのはおかしくはない

だが、訓示が訓示なだけに、また、かつて猛将といわれた南雲であるからには、
最後の突撃には陣頭指揮に立って、敵の銃弾に倒れ伏し最後を飾っていれば
このスレでいうところの再評価の点がもう少し上がったのではなかろうか

テニアンの角田中将は自ら手りゅう弾を抱え最後の突撃に参加したという
異説もあるが、硫黄島の栗林中将、市丸海軍少将も最後の突撃に参加したといわれており
アッツの山崎大佐は、軍刀と軍旗をもち仁王立ちで最後の突撃を指揮している鬼気迫る凄絶な姿が
米将校に目撃されている

あるいは小説に描かれる、土方歳三や東ローマ皇帝コンスタンティノス11世の最後の突撃
滅びの美学の清華である