日本軍は何故自走砲を量産しなかったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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チハとかよりずっと役に立つと思うけど何故量産しなかったの? 当時片手で装填出来る限界が57mm砲だったんだよ。
砲戦車でなく自走砲ならチハでも出来るの。
というか日本の中戦車自体が対歩兵自走砲みたいなもんだから57mmの榴弾を正確にかつ速射で撃ち込めたから要らなかったんだよ。
ハイ終了 でもフィリピンで一式砲戦車や四式十五糎自走砲は結構活躍したらしいな
フィリピンにたくさん自走砲作って送り込めばもっと戦果をあげられたんじゃないの? >>3
フィリピン現地で作れるならまだしもバシー海峡の米潜待ち伏せを掻い潜れるかといったらなぁ…
自走砲ちょっとばかし増やすより海上護衛にリソース割けとかいういつものオチに 護衛艦の建造は陸軍の管轄じゃないはずなんですけど(半ギレ 自走砲てドイツの突撃砲みたいなちゃんと装甲ついてるやつのことかな? いや、普通に作っとるよ
欧米に比べたら絶対数が少ないだけで 載せる大砲の絶対数も少ないからね
砲弾の絶対数も(ry >>3
そもそも南方で戦争する事自体が計画外の事でしたしおすし 日本には人が移動させる人力砲が有りますので、自走砲は要らなかったんです
ちなみに人力砲は移動させる時に気合いも要りますので、念力砲とも言います >>1
一つ目は馬力のあるエンジンを作れないから、75mm自走砲+弾薬いっぱいな重量のエンジンを作ることが大変だったこと
日本軍は開戦前に150hp級量産エンジンは作れたが、250hp級は戦中に作って量産開始した
二つ目はこういう事情だと機動75mm牽引砲作ったほうが量産性もあり、重量も減るから兵站効率がいいことだ
輸送量的な都合で75mm牽引砲のほうが都合がいい
3つめは100-150mm級自走砲になると300-400hpエンジン必須で日本軍はまともに20とん級車両すら実用化できてないから、そもそも100-150mmのまともな弾薬搭載数の車両は作れなかった
技術と兵站都合ではまともな機動75mm牽引砲、機動150mm牽引砲を量産すべきで量産してたと
火砲+機動ぷらっとフォームは8割り方、1500システム門分は作ってた気がする
火砲機動ぷらっとフォームは明らかに戦車以上にちから入れた。戦車は42年くらいまでに目一杯作って
そこから火力プラットフォームに全投入するからな
製造面じゃなく、日本は補給と搬送に失敗する。
日本軍は致命的に補給未するが、フィリピン戦や沖縄戦に向けて
前もって輸送船で物資を自由に供給、搬送させてもらえないほど、輸送船自体がなかった
日本軍の敗因と改善の最たるもんは、そもそも輸送船1000隻、トラック追加2万両は持ってる状態から開戦してくれ
完全に前半ー後半までの陸海輸送分配(輸送船がない)と、車両がないで大敗北したからな
最初から最後まで車両と輸送船で陸海は揉めすぎてたよ てか、他国だと自動化砲→自走砲で作るやん
日本は量産料と技術で自走砲は性能的にだめで試験生産程度にとどまってたよな
計画じゃ多数の自走砲を待望してたけど、取り組み的に、性能的にだめだった
まともな性能の自走砲は3式自走砲くらいだったな。
3式戦車と3式自走砲はまともに早期量産してフィリピン戦に間に合わせてほしかった 車台の幅が狭いので3突のように低いシルエットにまとめることはできんよ そもそも戦車は機甲部隊、突撃砲は歩兵部隊だろ
機械化率も低い旧日本軍に歩兵直脇火力用の車両を大量に準備することはできないでしょ
だから戦車が歩兵直脇火力であり続けたんだし 自走砲より九○式野砲と牽引車もっと作れよと言いたいね
自走砲は車体のサスペンションのせいで遠距離射撃は今ひとつだし仰角も大して取れないのが多い
必然的に直射メインになるから跳弾不発も確率上がるし榴弾の破片散布も悪くなる。
野砲で長射程と軽量さを活かしたアウントレンジで米砲兵に対砲兵戦闘を挑み撹乱すればいい。海兵隊主力の75ミリと105ミリには優位だし155mmにも機動面でいい勝負出来る。
自走砲ってんだからあくまで砲兵としての能力突き詰めていくと普通のスタイルに戻るんだよ。
自走砲はあくまで機動力との折衷案に過ぎない。
場合によっては対戦車戦闘も出来るし >>1は前にチハたんスレで戦車の代品に過ぎない直接射撃用自走砲を自走榴弾砲と勘違いして
的外れな珍説吹いてた馬鹿だろw 自走砲なんかよりも90式野砲を幅広く量産、運用すべきだった
あれ使えた兵器だけど評価よろしくなくて普及しなかった 75mm野砲は斜陽気味のジャンルだったからしゃーない あんなん南方の錯綜地形じゃすぐに砲弾が地形に阻まれて全然火力支援に使えんでしょ
ソ連のラッチェバムはロシアの大平原だからこそ活躍したと言える 日本軍はWW2交戦国中でもっとも迫撃砲を軽視した軍隊だ 当時の自走砲なんて、支那方面以外で使い物になるとは思えんのだが・・・
で、支那方面には牽引砲程度で機動性は十分、と。 当時の帝国陸軍で身の丈に合った砲兵装備は75mm山砲なんだろうなつくづく思う 追随して弾どうやって運ぶんだ?
トラックも貴重だし。 九四式山砲は確かに優れてはいるけどドイツ、チェコの山砲の方が射程と最大仰角面で上なので特筆して高性能ということは無い。
一方で機動九○式野砲は野砲を排した米独の師団砲である105ミリ榴弾砲に比べて発射速度と射程、機動力に勝るし、ソ連のは対戦車砲にもステータス振ったんで最大仰角や機動性で勝る。
あるいは日本も九一式十糎榴弾砲に振り分ける手も大いにある。
なので自走砲作ってる暇など無い。
一刻でも早く師団砲兵を充実させる必要があった。 91式榴弾ってのが駄目で作ったけど活躍しなかったんだよな。
傾向性、機動性の恩恵があるように見えつつも
・無理に肉薄に作ったから砲身寿命が短い
・無理に軽量に作ったから反動修正できず精度が悪い
・初速と射程が75mm榴弾、150榴弾に劣る
・91式榴弾に限らず105mm榴弾規格自体が、弾薬消費トン量において150榴弾にも75mm榴弾にも劣る
弾薬消費率でいえばもっとも非効率
主流化させたらむしろ90式野砲より使えなくて、対戦じゃ活躍しなかった
使うなら90式、95式、41式山砲(流石に使いたくない)、94式山砲で、威力なら150榴弾
もっといえば射程の90式野砲か威力の150榴弾、あるいは山砲か正規榴弾の150榴弾だった
他国でも効率の都合で105mm榴弾は一旦主要砲のいち付になるんだけど、使い勝手が悪くて
150榴弾が正規砲、軽砲、歩兵砲、山砲、連隊砲は75mmみたいな扱いになるんだ
ここで75mm砲ならまだ軽砲、歩兵砲、低消費砲、馬車運搬砲としてはっきりいって必須なんだけど、105mm榴弾は中途半端で駄目ってなるんだよな 現代戦の81mm迫撃や120mm迫撃のいちづけに75mm砲、75mm山砲はあったから
75mm砲はあるいみ性能不問で莫大な数が必要だったし、歩兵連隊レベルから必須の火砲だった
で150榴弾が正規砲ならば、中間的ないち付は現代では120mm迫撃が担うのだが105mm榴弾は負担が大きく中間火力になれんかった
ここで120mm迫撃を中間火力に位置づけたのがソ連とコピったナチス
そういう意味でスレタイの自走砲というのはまさに120mm迫撃のような中間火力にあたるわけだけど
自走砲かはともかく、自走砲=機動砲がほしいならば機動75mm砲、究極的には自走120mm迫撃おけよってところなんだろうな
自走砲は米、独、ソでは積極的に配備してたものの、あくまで軍団機動支援砲的ないち付で一部での配備で
基本的に末端の軍団や師団は自走120mm迫撃で戦うのがベターだった
120mm迫撃は消耗多いが、量トン負担は少ないし、強力、かつ使い勝手が良くて兵站負担、準備負担がないから
簡易自走砲的な動的支援火力として最適だった
まぁ日本軍の場合は81mm迫撃増やすか、できないなら94式山砲、90式野砲を完全充足させろよってことだったろうよ
105mm砲は消耗都合なのかなんなのか、数があって正規変成されてるんだけど、いざ実戦となったら全く投入されない
兵站と手間都合でどうしてもなら馬車運搬の94/95式増やしてくれ、でも上位互換の81/120mm迫撃のほうが嬉しいってのが現場の切実な要望なんだろうな >>25
軽視って言うか事故とかで作れなかったと言うか敬遠されたと言うか 火砲スレに長文書かないでここでずっとしこってればいいのに >>2
>というか日本の中戦車自体が対歩兵自走砲みたいなもんだから57mmの榴弾を正確にかつ速射で撃ち込めたから要らなかったんだよ。
大陸打通作戦で証明済みだなw 大砲だけ早く移動しても、もっと重たい砲弾を移動させる手段がない。 米軍でもラスト1マイルは夜間に人力搬送だし。
一方で台湾で砲兵の段列にいた祖父の話だとひたすら歩兵戦闘の訓練で見に来た参謀から銃剣が黒染めでないことを注意されたとか。
上陸戦闘も訓練したらしい。 >>43
ヴェスペやフンメルには砲取り外した弾薬運搬車があるやん
というか、>>1は対戦車用の自走砲が欲しいのか火力支援用の自走榴弾砲が欲しいのかわからん 自走砲より機動野砲のが良いなら、チハに47o速射砲牽引させてシャーマンが出てきたら牽引していた速射砲で対戦車戦闘でもすれば? "しなかった"なんて選択肢があるわけ無い。
戦車や自走砲を量産できてたらノモンハンも勝ってた。 ていうか、
チハたんを牽引車にするとか、弾薬運搬車にするとか、自走対戦車砲にするとか、バチ当たりだろ >>46
>戦車や自走砲を量産できてたらノモンハンも勝ってた。
ナチは戦車や自走砲を量産できてもベルリン陥落w 量産といってもレベルがソ連とドイツでは5倍ぐらい開きがあった。 ナチの場合自走砲結構作ってはいたが、末期になると計画狂うからな
ただナチの場合はソ連のような全面的自走砲って方向じゃなかったな
日本の場合は自走砲じゃなくて、自動化牽引迫撃部隊、150榴弾、カノン砲、203榴弾がほしいってところだな
機動性じゃなく、数やパワーや自動化の問題だったから そもそも当時はまともな道路がないのだから牽引砲が主体になるのは当然だろうよ
ハーフトラックやAPCに牽引させて道が狭くなったら人力って時代だし 山砲や歩兵砲の人力運搬業務と人力運搬性って重要だったからな
ナチやソ連の場合割りと積極的に自走砲を配備できたけど、それは湿地、泥地こそあっても、ほとんど平野で自走砲が通る道くらいはあるからだ
アジアと全然道路条件違う >>51
末期になると狂うっていうけど独ソ戦はどっちも頭おかしいかスターリングラード攻防戦中にスターリングラードの工場から完成した戦車を出荷とか
ドイツもドイツで軍需省がいい意味で頭いいからベルリン攻防戦中にも残った資材で戦車作って出荷とかやってるからな
当時の日本陸軍の分隊投射火力は他に列強より優れてたよ
回線時点ではそうだったけどだんだん劣勢になっていってるぁらな ディエンビエンフーの戦いで山に引き上げられた牽引砲が威力を発揮したし、山砲用途では便利だから今も自走砲と平行配備よな
昔と違うのは運搬が人力じゃなくヘリってところだが 最大的に自走砲や火砲の問題じゃなかったな。
WW2で火砲は兵站と専属部隊が必要で、錬成と兵站負担がかかる
けど迫撃は錬成と兵站負担、製造負担が少ない。そして何より、戦力が少数単体で構成されて、戦力を機能させるためのサイズが非常に小さい
このため使いやすく、なにより準備構築期間が劇的に短い
81mm迫撃ならば休憩状態から敵の襲撃をくらっても15-45分で反撃できる。
陣地を作るのも1-2時間で仮設できる
けど重榴弾は即反撃が難しい装備で当時の火砲は運用体型上即応戦まで2時間、陣地仮設に4-6時間もかかる
また部隊が大規模だから完全な準備に10-12時間は費やす
砲撃の前の準備がほんとは1日はいる装備だ
おまけで部隊がでかくて、準備する場所に制約がかかる。だから坑道陣地戦術なんかだと十分大量の火砲は運用できない。 火縄銃が普及する時代、英国では弓矢と銃の威力を比較したんじゃなく、その差は一長一短だった。
とくに銃機は兵站負担が大きく、というか近代的な兵站概念は銃の負担解消のために普及していった学問だ
この銃が弓矢にたいして最大的に優れる点は射程でも威力でもなく、錬成コストが極短期で短くすむことと
たくさん手に入る雑兵ですら集めれば十分な戦力になること。それ以前の足軽感覚でかんたんに錬成できて大量供給、補充(雑兵はいくらでも作って補充できる)できること
これで兵力の消耗を補填できるから戦列歩兵が普及した
これと迫撃は同じで、重榴弾は錬成が大変な弓矢で、迫撃は戦列歩兵だった
だから迫撃は重用されて、山砲やあるいみ正規砲兵連隊すら塗り替える主力火器に切り替わった。
WW2前記の歩兵師団は歩兵砲12-24門に重榴弾24-48門を組み合わせるのがソ連でもナチでも標準だった。
玉数比率で歩兵砲が2-5トン、重榴弾が5トンくらいの比率であった
WW2の歩兵師団は迫撃100-120門級に榴弾30-40門ほどを組み合わせた。
弾数は迫撃150トン、重榴弾100トンほどだった
迫撃、歩兵砲の依存度が極端に大きくなり、これが戦後標準的歩兵師団として主流になる
WW2は迫撃ー銃ー無反動砲を組み合わせた軽量自動化歩兵に切り替わった時代で
ハイテクや正面火器の進化でなく、むしろローテク、標準的歩兵の進化が鍵だった
日本においては地理的に重正面兵器を運用しにくい地形で補給戦が弱かったから
何が何でも迫撃を量産させないと行けなかった
日本軍が3000門の120mm迫撃、10000門の81mm迫撃と砲弾10万トン分を運用したとしても
それは錬成、製造、補給、運送すべての負担上軽くて合理的だったが、この合理性に気づいてなかった そもそも弾を運べてないんだから、いくら迫撃砲用意してもなぁ 日本軍のニーモーターはコストパフォーマンスに優れた歩兵用高性能火器だな いるいらねーだの、べきだった―論は置いといても
砲兵部隊の上層部は自走砲欲してたじゃねえか。
地形云々は半分後付論だろ 日本にもRSOを1万台こさえられれば迫撃砲の弾を段列で供給できたよね 日本の自動車生産能数は欧米と2ケタ違う。欧米で一番低いイタリアと比べても
1ケタ低い生産能力しかない。 イタリア対日本だったら陸戦は確実に日本負けてるだろうしない
イタリア弱いみたいに言うけど山岳連隊がドイツ軍と一緒に山岳部で戦闘継続してたのにね >>64
戦前の日米もしくは主要国の自動車生産台数をぐぐってもでてこない
サイトか台数を教えてください >>66
アフリカ戦線でも逸話だけ有名なだけで遅滞戦闘普通にやってるよ いうて日本軍も大陸や南方で散らばってる武器弾薬人員を本土に集めて
なおかつドイツと陸続きでドイツ軍の支援を受けれるなら連合軍相手に普通にそのくらいは持つでしょ
沖縄戦では2個師団ちょっとの兵力で米軍相手に3ヶ月持ったんだし 本当に陸戦だけならともかく、すでに航空支援もあること忘れてないか? 沖縄では航空支援だけじゃなくて戦艦の艦砲射撃もあっての3ヶ月でしょ
結局イタリア軍が強いとか日本軍が強いとかいう話じゃなくて、
そこそこの装備を持った軍隊が丘陵地帯に隠るとそれを攻略するのは本当に難しいというだけの話のような >>70
補給も途絶した状態で戦闘を継続していたのでヘタリアヘタリアって言うほどヘタリアじゃねーよって話だし
次にやるときゃイタリア抜きでじゃなくって日本抜きで出しドイツ軍と「共闘」していたのであってドイツに助けられてたわけじゃないよ
東部戦線ってドイツだけじゃなくって普通にイタリア軍も参戦してたしドイツは延々と日本に満州側から攻め込んでくれって言ってるのにドスルー
せめてアメリカのレンドリース船沈めてくれっていわれてもドスルー
そのくせドイツが降伏しそうになったら残ったUボートを日本に回航してくれ!バーカって言われるに決まってんだろ
イタリアとドイツは共闘していたのであってドイツがイタリアを支援してたわけじゃないよ?東部戦線は特に。
上記の理由もあるのにドイツが日本を助ける理由なんてあるわけねーだろ
防共協定の意味も忘れていやー不可侵結んでるからってどスルー決め込んでた日本をどうしてドイツが助けてくれると思うんだよw
>>72
東部戦線の山岳部隊は別に陣地なんて作ってる時間もないよ?後退中に殿を務めるために山岳部にこもって戦闘を続けてたとかなんだけど
同等と言えるのは満州のソ連侵攻時に山岳部でゲリラ戦を展開した部隊ぐらいだよ
アフリカ戦線なんぞ日本軍が行けばイタリアの比じゃないレベルでボロボロだし越冬装備もろくすっぽ整備してないことから分かる通り防共協定結んでてもソ連と戦う気なんて関東軍にも日本軍にもなかったんだよ
沖縄はそもそも隆起したサンゴなんかで地形が頑強で陣地準備してるから条件が全然違うだろ
沖縄は本土防衛と現地部隊で考え方が全く違うこととかも問題だけどね >>71
日本機がスピットファイヤに苦戦したのと同じレベルのMC200 とかあるし日本がまともに量産できなかったDB601(ハ40)とか生産出来てる国ですし
日本軍しゅごいみたいな思想は好かん イタリアが航空エンジン作れたのはドイツから工作機械を導入したからだろ イタリアの素の工業力なんて機関銃どころかボルトアクション小銃でさえまともなものが作れなかったんだし色々お察しでしょ 今は知らんが1940年代までは小火器の製造では日本の方が普通に上でしょ
ブレダM30とか日本の十一年式の方が数段マシなレベル イタリアは軍艦も優秀だな
日本は海外へ主要な軍艦の輸出はなかったがイタリアはかなりの輸出もしている
日本もイタリア製の日進、春日を所有していた >>67
1940年で日本の生産台数が約5万台位でアメリカが約450万台 >>75
いや、冶金技術の問題だけど
エンジンシャフトにニッケル使えなかったのは日本もドイツもイタリアも対して変わらなかったけど表面に窒化処理とかしてクラックを防ぐだけの冶金技術の有無でしかない
>>76
そら1943年には脱落して連合国側になったりして国力が半分とかになってますし。
>>77
ふぁ!?軽機関銃がアレだっただけで短機関銃もライフルも別に当時の標準レベルではあっただろうに
そんなこと言ったら三十八式を使い続けた日本もまともにライフル作れてないよ カルカノ小銃は輸入した国では散々な評価を貰ってるし当時の標準レベルだったとはとても言えない気がするなあ >>73
>ドイツは延々と日本に満州側から攻め込んでくれって言ってるのにドスルー
これはノモンハンでやられたと思ってたっていうのと、朝日新聞、尾崎秀実らの工作で日中戦争に動員されたというのが
あるだろうけど、
>アメリカのレンドリース船沈めてくれっていわれてもドスルー
これはなんでしなかったのかな。対戦初期ならできたんじゃねえの? >>84
満州側からは「え、不可侵結んでるし」
レンドリースも「え、不可侵結んでる国との貿易船だから。。。」
日本が結んでいた同盟とはなんだったのかが問われて次にやるときゃ日本は抜きでが基本
後は日本は艦隊型潜水艦が基本でそう言う輸送船狩りとか外道って考えてたとか
国内スパイ君が頑張ったお陰で関東軍攻めて来ねーから満州国境の部隊ぶつけようぜ!でドイツに勝つからな
>>83
威力不足だなんだは割と言われていて試行錯誤している時代ですし。 カルカノは威力じゃなくて耐久性が不足していたような
日本がイ式購入した時はかなりの数が不良で問題になったそうだし >>67
www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol5101_11.pdf
陸軍の自動車工業統制とトヨタ自動車工業
http://i.imgur.com/NccQCJL.png アメリカの自動車生産台数がピークを打ったのは「1929年」。
総生産台数は535万8420台、内訳は乗用車444万5178台、トラック88万1909台。
staging.ilo.org/public/libdoc/ilo/1947/47B09_25_engl.pdf
翌1930年には、335万5986台と激減しているが、これはいわずと知れた
大恐慌の影響で、工場のキャパシティはあるのに売れないから作れない。
よって30年代のアメリカ自動車産業は高性能化と多品種生産に向かう事になる。 >>77
イタリアの数字は調べるのがめんどくさいからわからないが、戦前の
フィアット主力車種「Fiat 509」1車種で1925〜29年に9万台生産されたらしいから
さすがに日本とは比べられるものではないだろう。 >>85
ドイツがロシアとの条約を破って、戦争したんだから
ドイツとしてもロシアを日本が攻撃することを当然期待してたということなのか。
しかし、日本ではゾルゲや尾崎秀実ら朝日新聞勢力の謀略により南進論が勝利したと。
でも、時系列的には南進論勝利→三国同盟→真珠湾では? >>91
単純に、極東ソ連軍の兵力が減らなかったから、対ソ戦に着手しなかっただけ。
ゾルゲもコミンテルンも無関係。 >>92
日中戦争しなかったら、北進できたよ。少なくとも、ソビエトは戦力を西方に移動できなかった。
ゾルゲもコミンテルンもそれを狙ったので、無関係ではない。 >>93 日中戦争しなかったら、北進できた
関東軍の兵力は、極東ソ連軍より多くなった事すらない。関特演で兵力集中した時
でさえ50%弱、戦車大砲航空機の比率はもっと低った、日中戦争してなくても北進
は無理だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています