もうちょい具体的に書くと
陸軍上層部もチハを作り続けたくなかったし
砲兵科もチハ車体の利用を避けたかった。

理由としては、チハ車の量産自体上層部が
渋々許可したもので
チハ車自体、重い・信頼性低・作りにくい・操作性が低いと上層部から見た現状に合ってなかった。

だから上層部はチハの生産を短期間で終わらせその生産期間内で本命の新中戦車(チホ車、後にチへ車)を開発するつもりだったし自走砲もその車体を使わせる計画だったし、砲兵科もそのつもりだった。

結局計画変更でチホ車案の破棄・チへ車案の開発遅延や情勢の変化でチハ車体を使わざるをえなかったがね。

機甲科も機甲科でノモンハン前後から
37mmと短57mmから脱却し47mmと75mmに移りたいと考えてた。短57mmの使い勝手が良かったのは国府軍相手までで列強(特にソ連)には力不足だと気が付いたからだ。

結局これも生産力不足や開発のグダグダで
終戦まで短57mmから脱却出来なかった。