火縄銃が普及する時代、英国では弓矢と銃の威力を比較したんじゃなく、その差は一長一短だった。
とくに銃機は兵站負担が大きく、というか近代的な兵站概念は銃の負担解消のために普及していった学問だ

この銃が弓矢にたいして最大的に優れる点は射程でも威力でもなく、錬成コストが極短期で短くすむことと
たくさん手に入る雑兵ですら集めれば十分な戦力になること。それ以前の足軽感覚でかんたんに錬成できて大量供給、補充(雑兵はいくらでも作って補充できる)できること
これで兵力の消耗を補填できるから戦列歩兵が普及した

これと迫撃は同じで、重榴弾は錬成が大変な弓矢で、迫撃は戦列歩兵だった
だから迫撃は重用されて、山砲やあるいみ正規砲兵連隊すら塗り替える主力火器に切り替わった。

WW2前記の歩兵師団は歩兵砲12-24門に重榴弾24-48門を組み合わせるのがソ連でもナチでも標準だった。
玉数比率で歩兵砲が2-5トン、重榴弾が5トンくらいの比率であった

WW2の歩兵師団は迫撃100-120門級に榴弾30-40門ほどを組み合わせた。
弾数は迫撃150トン、重榴弾100トンほどだった

迫撃、歩兵砲の依存度が極端に大きくなり、これが戦後標準的歩兵師団として主流になる

WW2は迫撃ー銃ー無反動砲を組み合わせた軽量自動化歩兵に切り替わった時代で
ハイテクや正面火器の進化でなく、むしろローテク、標準的歩兵の進化が鍵だった

日本においては地理的に重正面兵器を運用しにくい地形で補給戦が弱かったから
何が何でも迫撃を量産させないと行けなかった
日本軍が3000門の120mm迫撃、10000門の81mm迫撃と砲弾10万トン分を運用したとしても
それは錬成、製造、補給、運送すべての負担上軽くて合理的だったが、この合理性に気づいてなかった