http://eiji.txt-nifty.com/diary/2009/09/index.html

>鶴亀算なんて全く記憶にありませんでした。
 私は逆に、こんな知識を未だに記憶に留めている人々がいることに驚きを禁じ得ません。
たとえば義務教育時代に習ったお勉強で、その後どういう理由でどんな教科が記憶に残るだろうか? 
と考えると、たとえば理科なんかは、日常のニュースや自然現象に接し続けることで、相当部分残るでしょう。
高校の古文はちょっと怪しくなるけれど、時代劇を見たり、その手の出版物に偶然触れることで時々記憶が呼び覚まされるかもしれない。
 でも算数って、そういうチャンスが一番低い教科ですよね。<

私は、こんな低知能を、未だに庇う人々がいることに驚きを禁じ得ません。
ナトリウム炉(もんじゅ)を「水棺すればいい」(削除済?)は、理科的に有得ない。

さんすう(数学)は大部分獲得知識だけれども知恵になる。
日常生活に建築にさんすうは必須。

大石幼児は幼児知能の、ただの知ったかぶり阿呆です。