「救えるだけ救え!猛火を恐れるな!」 大阪大空襲の夜、市民を助けるために走り続けた地下鉄があった [無断転載禁止]©2ch.net [963243619]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1500742734//より
37 自分:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 4710-E/h9)[sage] 投稿日:2017/07/24(月) 19:05:46.67 ID:mW7npJbq0
空襲に遭わなかった都市について
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history2/1400320251/より
48 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2017/03/04(土) 16:45:44.44 ID:3Baeb7LI0
>>47
大東京の地下400年99の謎 帝都の地下国家機密の歴史を暴く!
199ページから200ページより
83 東京の地下鉄はなぜ、東京大空襲で市民を救えなかったのか?
 「夜空から焼夷弾が雨のように降った。最初に火の手が上がったのは深川だった。布きれに火のついた焼夷弾で、
まさに火の豪雨であった。同時に焼夷弾の直撃で死亡した人。手首・足首に落ちて火傷した人、
顔半面を火傷した人、爆弾が爆発し、その爆風で死んだ人、弾片で死傷した人がかなり出た。
家は紙を燃やすようであった。」『日本防空史』からの引用だ。
1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲について書いてある部分だが、その凄惨なありさまは数多く語られているので、
あえてくりかえすことはしない。しかし、そのとき、東京の地下は、本来の目的である「防空」に役立ったのだろうか?
フランスの建築家、コルビュジエは、空襲から国民が逃れる手段として地下3層の地下鉄の建設を提案していた。