国ごとの物語の癖、というならアメリカの男性作家にはマッチョイズムの水脈が流れてる気がするなぁ。パッと思い出したのがディヴィッド・マレルだけど。
ランボー(一作目)の原作の「百万ドルの兵器を任されていたのに!」という男の悲哀と惨めさは、なにかこう……何でしょうね。あの胸を打つ感じは。

イギリス人は「はて?君は一体何が面白いのかね?」という取り澄ました顔でえげつないユーモアを正面から刺してくる印象。状況が緊迫するほど抑制を重んじるというか。

そしてフランス人は基本何言ってるか分からんし、多分書いてる本人も気にしてない。