>971
>1945年8/5頃の兵将棋演習で防御構想の見直しが図られ、

微妙に誤解

兵棋演習が行われたのは、たしか6月
その結果の見直しが7月中に行われ、現地部隊への通達が8/5頃の模様


>各師団の防御区域も変更されつつあったようだが、終戦で見直しの記録残ってないんでしょ。

一部では残っている模様
少なくとも【主陣地帯を汀線から2Km以内にせよ!】という無茶な指示が出されています。
ただし従来の段丘陣地帯には、砲兵援護の部隊は残すのは認められていた模様。

これにより各連隊から1個大隊がさらに前進配備になる予定だったと思われます。
(既存の計画だと、各連隊2個大隊が段丘防御、1大隊が前進配備)

なお、この前進配置ににより、戦力の消耗速度はかなり早まりますが、
結局は1日〜2日程度は上陸後の米軍が段丘陣地に辿りつく時間を稼げますので

まあ、その間に戦車師団の逆襲準備が行われるので、既に持久を捨てた旧軍にとっては
あまり計画には大きな影響は出なかった可能性もあるのではないかと…

>総軍司令や軍司令官が初日に死にたきゃ自分で腹斬ればいいんだ。
>ましてや参謀風情が言うことじゃない。旧軍の一番あかん部分やね。

某参謀とかは初日に「様子を見てきます」とか言って司令部を出て、そのまま突撃に参加しそうですが…
(参謀がそれで良いのか?と言えば、これまたよくはないのですが)