「再び大恐慌(1907年恐慌)を起こさない」として、昼食に議員を連れ出している間にFRBを作る法案を無理やり通した
しかし、1907年恐慌を上回る大恐慌「ウォール街大暴落」が1929年に起きてしまった
この大恐慌は世界に飛び火し、各国で大損害を与えた(省略)
アメリカはまず満州(南満州鉄道)権益を日本から事実上収奪することで乗り切ろうとして大恐慌以後活動を加速させたものの、
別動隊である上海(第一次上海事変)が直接的には失敗した上に、1933年の満州事変集結で息の根を止められた

そこで満州事変勃発以後あらゆる手を用いており、
その一環として日本政界と日本海軍の扇動に「結果として」成功させ5.15事件を起こし、
その後処理を妨害して軍部暴走のきっかけを作り、国際連盟からの離脱・海軍軍縮条約からの離脱、そしてドイツとの結びつきも行わせた

次に「ニューディール政策(1933年)」を始めたものの、FRBと議会が邪魔をして企業に圧力を加えられなかったため、中間搾取が多くなり破綻寸前に陥った
(ケインズ経済学は1936年出版の「The General Theory of Employment, Interest and Money」が発端)

そうして再度、満州も入っているシナ全域での利権収奪を行うことになり、ソ連も間接的に動かして日中戦争を始め、先にドイツ追い落としを行い、
次にソ連を結果的に追い落として、アメリカが入り込む余地を作った
しかし、まさかのドイツ早期開戦でイギリスがピンチに
この死にかけであるイギリスを支援させるため、アメリカは日本が蓬髪するようできるだけのことを行い、
1941.12.7(8)を迎えることになった