ワッチョイ無 1 インパール作戦 [無断転載禁止]©2ch.net
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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません このように過去のインパール作戦批判は
全てデタラメ、嘘のオンパレードですw
真面目に 反論できるやつがもしいるなら
ちゃんと具体的に批判、反論して論戦に応じたらどうだ? 牟田口批判をしてる人物が
いかに人間性の劣化した下品な人間かが
このスレを見ればお解りであろう。
これが山本五十六信者の本質です。 土足ってもしかして坂井三郎スレで他全員が五十六信者に見えて仕方なくてひたすら五十六連呼して噛みつきまくっているあの基地外と同人物なのか? ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 それって欧米人が大好きな「こんなに強い敵に勝った俺たち最高!」ってやつだよw
まさか「敵はアラカン山系を超えた時点で消耗しており補給も続かずすでに限界に達していた。
正に攻勢限界点に達していた敵を叩くのは造作もなかった。敵は大した抵抗も出来ず敗走した」
なんて言ったら勲章にありつけないじゃん 欧米の干渉から隔絶された亜細亜の然るべき地に
皇太子を擁して陸軍主導主体の第2日本国を設立し
大戦の帰鄒がいかなる結果を生じようとも
(仮に本国が消滅しようとも)帝国の存続を図る
ディマプール攻略が戦略的に是か非かを問うなら
第2帝国建設の要素も視野に論じることはやぶさかではない >>505
そのとおり。2010年から自分の意見に賛同しない者を五十六信者と断定して
わめきちらしている。しかし8年もwご苦労なことだ。 >>506
このように第31師団の任務は以下なのだよ、土足君w
ディマプールのデの字も無いのだ。
頭の良い土足君なら理解できると思うのだが?
三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ >>511
その文章は何からの引用か知らんが、原文とは違ってるな。
三、「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
↓【原文】
第二 指導要領
三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ・・・
五、(略)雨季に入ルニ先テ「ディマプール」「シルチアール」各東方山系及
「チン」高原ヲ確保シ・・・
大田インパール(P107) ということでバカの言い分によって、新たな発見があった。
現物の作戦計画の第二 「指導要領」が
一般に書籍で出回ってるものでは、「作戦骨子」として書き換えられ
なぜか「ディマプール」から「アッサム」に改ざんされている 太田のキチガイ本の方に原典を合わせろとか、
ただのキチガイだな、ムッチー教徒は。 で、土足は骨子が何だかわからないので、
大阪から部隊が来るんだってさ、
を関西の部隊が来るよーと言うと虚偽報告になるらしい。
そんなもん、ムッチー大隊長の
「部下を拉致られた」に比べたらどーでも良いこと。
男二人で闇夜に何やらかしてたんだか。 >>509
土足のアホは佐賀人だな。
なんにしろ孤軍奮闘で同じ事をコピペして哀れな奴だわ。 >>512
さて、↓の(略)は何故略したのかね?
五、(略)雨季に入ルニ先テ「ディマプール」「シルチアール」各東方山系及
「チン」高原ヲ確保シ・・・
大田インパール(P107)
(略)部分には 「インパール」攻略ハ四月中旬頃ニ之ヲ完成シ爾後
という文言が入っているようだが?
つまり、「ディマプール」をするのは「インパール」攻略後であることが
明記されている。この肝心な部分を略するとは、さすがに頭の良い土足君だw 任務分析をすると先ずインパール付近の野戦軍を撃滅後に
「ディマプール」「シルチアール」を占領するという作戦になっている。
しかも別に「ディマプール」を占領する部隊については第31師団と
規定していないのである。 >>516
何故、五十六を攻撃したいのか分からんのですよ。
別に牟田口と対立していたとか無いわけだし。 一応指摘しておく
三、「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ・・・
上は当初の作戦計画案
下は最終的に確定し昭和19年2月に発令された作戦計画 >>513
フム、陸戦史集は「アッサム」になっており、戦史叢書は「ディマプール」となっているようだ。
戦史叢書のほうが土足君には都合がいいようだからこれからはそちらを使おうw >>518
スリム中将は日本軍の特に佐藤に対し
最初の計画にこだわり応用力が無い愚鈍だと
批判している。 三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ「インパール」攻略完成迄軍主力ノ側背ヲ掩護ス
このあとに状況によってはインパール攻略に一部直接参加させることがあると続く
命令発令後に久野村中将がやってきて佐藤師団長に口頭で、
コヒマ占領後ディマプールに突進してもらいたい、これは牟田口軍司令官の意図と伝えた。
佐藤師団長は黙殺し聞き流したとあるけど当然の対応。
正式な作戦計画を発令した以上、命令書で発令しなきゃダメ。 >>522
師団の任務とは何か?ということだよ。31師団の任務を分析すると、
まず
1 コヒマ周辺の敵を排除すること(コヒマ周辺での陣地構築を妨害されたくないため)
2 野戦築城を行い、防御力を積み増しすること(時間と労働力が必要)
3 英軍が攻撃してこなければ、インパールに援軍を出すこと(要請されれば)
であり、ディマプール攻撃は別途に命令が必要。
その際は現任務は解除されなければならない。
戦力の少ない31師団は2兎も3兎も追えないのだよ、土足君w 31師団に対するディマプール追撃(まだ1個大隊が死守しているのだから厳密には
追撃ではないが)の口頭命令は方面軍司令官によって却下されている。
方面軍司令官の命令を無視するのが柔軟性といえるのだろうか?土足君w 佐藤師団長の問題はディマプール追撃命令に従ったかどうかではなく(時期的に遅い)
それ以前の問題。
進軍があまりのも遅く肝心な所で停止している。
31師団主力の2個大隊は、一気に進めば遅くとも3月中にコヒマに到達していたはず。
この時コヒマもディマプールも、正規軍が配備されておらず陣地すら満足にない
まったくの無警戒同様の状態だったと言う事。
佐藤師団長は始めから作戦が中止になると見込んで、そうした指揮をしていたということ。
これは中央からそういう政治的な水面下の動きがあったと思われる。
もし佐藤が本気でやる気で指揮していれば
一気にディマプールまで突入できていただろうな。
結局は対米決戦と、インド独立支援の作戦と
どっちが重要なのか政治的に対立し、裏で策略だらけの状態だから
こんな状態でまともに作戦ができないのは当然。
結論はインパール作戦を妨害していた、海軍と対米決戦派が悪い。 ということで各師団が猛スピードで進軍していれば
3月中にインパール、コヒマ突入は可能だった。
4月中旬に作戦完了の計画は、ぜんぜん無謀では無い。
普通にやれていたはず。
(ラングーン兵棋研究で議論となったのは、その後どうするか)
補給の問題なんか、まったく無い。
むしろ過剰に補給を考えすぎたくらい。 しかし仮にインパール作戦に成功しても
その後最終的には、奪還されて敗退すると言えば、それはそうだろうな。
しかしこれは牟田口や陸軍の責任ではない。
海軍のバカ作戦と、それを支持していたアホが悪い。 >>527
492で指摘されなかったか?
>中参謀長や竹田少佐の宮に何と言われたのか全文書いてみろ >>526
では1日あたり何キロ前進すればよかったのかね?土足君w >>527
ラングーン兵棋では補給について研究されていないよ、土足君w >>528
海軍のバカ作戦というがどのみち1944年にはアメリカの大艦隊がやってくるので
どうしようもないのだよ、土足君w >>510
皇太子を拉致して潜水艦で印緬に送り
南方総軍の保護下におく計画があったことをしらないんだな >>533
陸助は潜水艦自前で作っちまった訳だが、
それって今の陛下だろ?確か小学生じゃん。
奸賊以外の何者でもないがな。
バレてたら将官の銃殺とか珍しい物が見られたね(笑)
まあ、無能土足が兵力を盛大に損なったので第二も第三も無意味ですけどね(笑) 海軍信者は、あらゆる者を悪党に仕立てて
海軍批判を誤魔化してかわそうとしている。
こいつらは追いつめられ、最近はついに天皇批判をさかんにやっている。
こういう人間性の劣化した海軍と山本五十六信者こそが
最低の人間のクズだわな。 陸助の屑っぷりを勝手に披露してるのは土足の方であってw
それがどういう意味を持つのか指摘されて逆切れが>>536 日本を壊滅させた国賊・山本五十六
岡田啓介、山本五十六ら艦隊派が海軍軍縮条約からの脱退を企て
予備交渉を意図的に破綻させる。
↓
海軍軍縮条約から脱退確定
↓
海軍、政友会、三菱財閥など利権勢力が青年将校らに襲撃される(2.26事件)
↓
山本五十六が海軍次官に就任。山本は米内を海相に推して米内が海相に。
↓
大山事件勃発(海軍の自作自演、謀略)(陸軍主導の船津和平工作が妨害され潰された)
↓
海軍が中国都市爆撃を独断で強行
↓
海軍による都市無差別爆撃が世界中から非難される
国際連盟は対日非難決議を採択。中国支援を決定。
国共合作が実現する。
日中戦争勃発。
↓
閑院宮・陸軍参謀総長は畑陸相に対し、日中戦争を拡大泥沼化させてる要因は
米内ら海軍だとして、日中停戦のため米内内閣に協力しないよう要請。
↓
井上成美は中国都市爆撃の強化を唱え重慶に対する
無差別爆撃を実施。
↓
陸軍は日米諒解案をベースに対米交渉を続けるが
それを妨害するため海軍が主導し南部仏印進駐を強行 >>513
これは驚き!
アッサムはディマプールの南のベンガル沿岸地方だよね。
ディマプールもアッサム地方なのかな?
宇都宮と関東地方みたいな関係? >>539
アッサム地方から陸路でディマプール以外のどこから湧けるというの?
佐藤がディマプールに突っ込めば勝てるという気違いは、ディマプールでアッサム地方から来る部隊に踏み殺されろと言ってるに過ぎない。 >>540
バーカー中佐がおかしな手紙をよこすからおかしなことになるんだね。
ディマプールを取られても別にインパールを放棄する必要性はまったく無いのに。 理想的な時期にディマプールを攻略できたならば
皇太子様を奉じた建国が現実味を帯びてくるわけである
もとよりディマプールを皇都することはなかったであろうが
産業・経済面で新皇土の策源地となったことは確かである
そして油田及び精製設備は、将来的には輸出原資として新皇国の財源となったであろう
因みにこの頃になると、既に軍は戦争指導において帝の信を失いつつあり
実際、戦争に勝つ見込みは皆無であることをわかっているので
避難皇土の名目で軍が生き残りを図ることは至極当然の流れであった
ただ、新皇土にも御標を要するので
理想的には皇子を仰ぎ、神器の一つを移管し本土皇国との一体を願いたいところであったが
それを説得することはおよそ不可能と考えられたので
潜水艦による拉致強奪という手段を想起せざるを得なかった
(正仁親王は病児ゆえ対案にならなかったが
私個人的には弟君を天子としてお迎えし、世嗣等は後々考えればよかったと思う) そこらへんにウンコが落ちているな。触らないように注意しよう。 >>542
要するに先帝(昭和帝)に見切りを付けられてたアホ陸助による謀叛である。
が、やっぱり第二帝国の戦力もバカの陸助なので、史実より長持ちするメドがないんだけどな。
工業力を本土に置き去りにして、戦車も戦闘機も手持ちを磨り潰すしか無い癖に石油を有り難がって何に使う気やら(笑) だいたい、第二帝国の領土が他人の靴の上にしか存在しないのに、
本土または史実より手加減して貰える訳がない。
もし、連中に存在意義があるとしたら
戦犯としての罪を全部引き受けて本土を講和させる位だから、殿下が連れ出せなくても東條とかは忘れずに吊れて行けよ(笑) >>546
そしてイタリア枠で連合軍入りした日本軍に
226のオチである、賊軍扱い&下士官以下は投降で免罪のビラで秒殺される第二帝国(笑)
陸助は学習能力が無いなぁ。 てか、英国の戦史研究家にも酷評されてるのに、インパール作戦
でも、一部の変な手紙しか見ないんだよね、擁護派って >>548
まだ擁護派なんているのかね?擁護しているのはもう土足くらいしかいないだろう。
大田嘉弘ももう死んでいるし。 Bunzo
‏ 11月4日
あるドキュメンタリー映画の取材を受けたインパール作戦から生還された方が取材者に
「これはよく調べています。」と歴史群像10月号特集記事のコピーを差し出したと聞く。
こうした話は素直に嬉しい。 >>301
皇軍はインド兵の捕虜を銃剣の練習台にしてなぶり殺しにしてたぞ
それがバレて後でインド兵に復讐される >>526
コヒマへの進撃が遅れたのはジェッサミとサンジャックでの戦闘のせい
ジェッサミはまだいいが、サンジャックは15師団の管轄でわざわざ攻撃したのがアホ
つまり宮崎繁三郎のせい。 >>539
アッサムはベンガル以東のかなり広い範囲
ディマプールもティディムもアッサム >>556
敵から奪う、は当作戦の大前提だから宮崎の機転は推奨される行為だし、
コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
だいたい、空挺の処理を優先したのを非難するとムッチーにブーメランが刺さるぞ。 つまり、佐藤に補給をきちんと付けなかったムッチーがアホなせいで負けた!
補給が通ってれば言い訳のしようが無いし途中の寄り道も不要なので勝てたw
っと言いたいんだなw >>556
そもそも、コヒマを何日目に落とそうが、
究極無能ムッチーは残りの二個師団でインパールの前の二個大隊にさえ勝てないので全く無意味。
まあ、大隊と師団が撃ち合って大隊が撃つ方が多いとかアホな条件にしたのもムッチーだしな。 牟田口の事をムッチーなんて呼ぶのは
この世に一人くらいしかいないと思うがw
すべて一人の書き込みなのか?w ムッチーの正当性を主張するキチガイより多くても何の不思議もないけどなw >>558
>宮崎の機転は推奨される行為だし、
宮崎将軍を礼賛する人たちはそういうけど、
軍事作戦としてとしては作戦地境を調整も無く超えるのは問題じゃないかな?
場合によっては友軍相撃になりかねない。
>コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
サンジャックの戦闘で七日を失っているね。
その間に161旅団がコヒマに到着してしまっている。
それをどう考えるのかな? >>563
挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
そもそもが方や空挺方や山越えの為に大砲置いていた軽歩兵同士のド突き合い、
直接照準下の戦闘で敵味方の区別も出来ないボンクラしか連れて来れないんじゃ作戦自体が無意味だわw
コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない あ、そういうボンクラに飛行機を幾ら廻しても少し前に陸助の馬鹿が欲しがった近接航空支援なんて完全に論外だな。
味方に機銃撃つって有様なんだから。 >>564
>挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
60連隊は間に合って共同で攻撃しようと提案したが宮崎少将に拒否されているね。
本来攻撃の責務は60連隊にあるのだから拒否するのはどうかと思うが?
>コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
>英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない
別にコヒマより先に前進するべきだったとは書いていないよ。
七日早く到着すればその分野戦築城に時間を掛けることができる。
それを考えるとサンジャックはわざわざ58連隊が攻撃する必要がある
という判断には同意できないという話し。 宮崎の指揮する58連隊は師団の主力では無い。
状況に応じて動くのが正しい。
本来ならば31師団の主力である2個連隊が
先にコヒマに突入していなくてはならない。
こっちが遅すぎる。
いずれにしても宮崎の連隊を指揮したのは
31連隊の司令部で、こちらの方が問題。
ここが始めからやる気が無いのだから作戦は失敗して当然。 >>566
つまり、相撃にならない連絡が可能だったと実例があるので>>563が杞憂だっただけだな
>早く到着すればその分野戦築城に時間を掛けることができる。
60師団が来るまで敵が野戦築城なり散開させるなりはええんか? >>567
60連隊はもっと後ろにいたから先に攻撃できなかったのだ
15師団で遅いなら誰にもチャンスが無いのだから、作戦自体がアホ過ぎなだけだなw
幾ら戦線を前に出そうが補給が届かなければ維持できないし、例えどこで増援を止めようが
残りの二個師団で攻めて二個大隊に追い返される無能ムッチーにはインパールを落とす可能性など有りはしないのだw >>568
杞憂ではなく軍の計画で師団戦闘地境を設定しているのは友軍相撃を避けるため、
部隊の混交を避けるため、師団の責任範囲を避けるためという戦術上の考え方による。
何処の国の教範にも書いてある普遍的なもの。
なにも起きなかったのは運がよかった。
> 60師団が来るまで敵が野戦築城なり散開させるなりはええんか?
サンジャックは15師団の責任範囲だから別に構わないよ。
31師団及び15軍の作戦計画に従うなら58連隊は速やかにコヒマに進撃して
周辺の英軍を排除して防御陣地を構築すべき。
むしろ積極的にサンジャックを攻撃しなければならない理由が見つからない。 >>567
相変わらず師団を運用と戦術を理解してないようだね。土足君w
分進号撃に主力かどうかは関係ないよ。
31師団の作戦命令(作命)をみればわかるが、
58、138連隊ができれば同時に、コヒマに到着するのが望ましい。
124連隊は師団の第三梯団なのでその後だね。
また状況に応じて動くというのはあくまで師団の作戦に寄与することが前提。
好き勝手に動くことではないよ。 >>571
佐藤がマトモな司令官なら、3月中に124連隊が
コヒマに突入していたはず。
そして宮崎の58連隊に対しては、インパールへ突入
させるように指揮する。
当然これらは15軍、15師団と調整して連携する。
最初の作戦計画がどうだろうが関係無いだろがアホ
スリム中将もそう指摘している。 >>570
防御陣地を作っても敵が減るわけでも無ければ弾や飯が出てくる訳でもない。
ウ号作戦の計画通りの線まで下がって構築して良いならともかく、ムッチーの作戦>>572は攻勢で押し切るんだから後退許可を3月には出せないよね(笑)
結局4月以降の負けスケジュールは何一つ変わらない。 ムッチーが二個師団で二個大隊に追い返されるんだから、58連隊が単独で突っ込んでも中隊で十分支えられる。
インパールは落ちない(笑) 土を掘ってそこに入ると言っても
あの辺、とてつもなく悪そうな虫や生き物が沢山でてくるんだろ >>563
ウエストケント大隊が4月5日に到着したんだよな
このせいでコヒマは陥落しなかった。 >>564
15師団は3月23日にサンジャックに到着していたが、山砲を準備してから攻撃する用心深さで25日から砲撃開始した。
サンジャックは掘っても90センチで固い岩盤にぶち当たる大砲に弱い土地で、英軍はさんざんやられた。
歩兵だけで猪突してはね返されて大損害だした宮崎繁三郎とは違うのだよ。 >>567
細道しかない北方の山岳を踏破した2個連隊と比べ
わざわざ整備されたウクルル道を通った58連隊がほぼ同時にコヒマ到着ってのがまずおかしい。 毒餌で死ぬ程度な間抜けな畜生の脳ならそう思って地雷でも踏むんだろうな(笑) >>573
>防御陣地を作っても敵が減るわけでも無ければ弾や飯が出てくる訳でもない。
そのとおりだが、そういう作戦計画なんです。31師団の作戦計画は速やかにコヒマ周辺に集結して
防御戦闘に移行することだから。サンジャックに寄り道しているヒマは無いのですよ。
31師団の作戦にまったく寄与しないのですから。 >>572
では土足君。一日あたり何キロ前進すればよかったのかな? >>572
>そして宮崎の58連隊に対しては、インパールへ突入
>させるように指揮する。
牟田口君はそのような命令を出さなかったし、
宮崎少将もそういう意見具申はしてないのだが?
>最初の作戦計画がどうだろうが関係無いだろがアホ
命令の変更がなければ計画通り行動するしかないわけだが?
勝手行動していいのなら佐藤師団長の独断も許されるということかな?土足くんw >>576
七日の遅延がなければコヒマ三差路高地は取れたかもしれませんね。 >>581
31師団の中突進隊(138連隊)がゼッサミに攻撃開始したのは3月28日朝
こんな取るに足らない敵を相手にせずコヒマへ突入していれば、
3月31日にはコヒマ攻略完了だな
(ほぼ空き屋状態だから)
※ゼッサミ〜コヒマ間 90km ジープ路完備
日本の公刊戦史と英軍の記録では全然内容が違い
日本側ではゼッサミで強敵と激戦を戦って、死傷者多数のように書かれているが
英軍側の記録では、このアッサム連隊にまったく被害は無く
無傷でゼッサミからコヒマに戻ったと記録されている。 追記
※ゼッサミ〜コヒマ間 90km ジープ路完備 (直線距離で30km程度) >>580
コヒマで守備隊と空挺に挟撃されろ、なんて命令でないのだから、
後顧之憂を絶つのは指揮官の裁量の範囲内。
それを超越して前に進めと言うなら、
良いから先に行け後方は60連隊でバックアップするから、って確約をムッチーがするべきだったのだが、してないわけで。
図上演習でこういうお題をキチンと詰めてれば まだしも、そういう準備をしてないんだから
素面の師団長たちが各自の常識の範囲内で処理するのは当たり前。 死地に特攻すべき31師が一番やる気がなくて、
アホな作戦で死ぬのは嫌だから
無理しないよう、深入りしないようにしてたんでしょ。
横に敵が居たら、前進しない理由になるんだから喜んで潰しに行くよ。 >>587
本当にただ無意味に潰されるだけの死地だからね。
損害は出るけど勝算が有る、とやる前にコンセンサスを作れば、それが誤算でもちゃんと突っ込むんですよ。
本作戦の場合、図上演習とかサボってるムッチーのせい。 >>585
それで、31Dが保有しているジープは何台?
あとジープ道の幅と勾配は? >>589
ジープなんかなくとも90kmの距離なら
3日で行けるじゃないか。
3月31日にコヒマ攻略は普通にやれたはず。 地雷を埋めるなり狙撃兵数人で嫌がらせするだけで道路は使えなくなるけどな >>586
>後顧之憂を絶つのは指揮官の裁量の範囲内。
ところが宮崎将軍は後顧の憂いを断つためにサンジャックを攻撃するとは
言ってないわけなんですよ。
軍旗がどうとか武士の情けとは言ってはいるようですが。
しかも60連隊の戦闘加入を拒否するしまつでしてね。 >>584
答えになってないよ土足君w
31師団は作戦発起3月15日から一日あたり何キロ前進すればいいのかね?
58連隊ならー7日だからもっと余裕だがねw アーサー・バーカーの見解では
4月の段階で、宮崎の指揮する1個連隊がインパール攻略に
加わっていたなら、インパールは墜ちていた。
しかし、それ以上に日本が簡単に勝つ方法は
佐藤の師団主力が、即座にディマプールに突入すること。
これで日本はインパール攻略だけではなく、作戦全体で
大勝利していたであろう。
こう言っている。
他の関係者もほぼ同じ見解。
だったら楽勝じゃないか。
上記のように3月31日には、コヒマを戦わずして攻略できて
大量の物資が得られるのだから
インパールでもディマプールでも、どっちを攻めても勝てたわけだな。
また宮崎がサンジャックを攻めたのも正しい。
そのままインパールを猛追すればよかったわけだな。
いずれにしても佐藤がちゃんと師団の指揮をして無いから
宮崎は混乱して当然。 まあ軍板にはバカしか居ないから
まともな反論は期待しない 53師団をフーコンに早期投入して18師と交代。
18師団を先鋒にしてOMGよろしく損害に構わずディマプールに突進させ、第二梯団として31師団に追及させればいい。
これで勝つる! >>594
アーサーのは戦後の発言なので、追加部隊に負けても自分が捕虜になる訳じゃないから証拠にはならんな(笑)
腰抜けジファードさんみたいに当時それを主張してなかった、それこそが4月におけるアーサーの本音(笑)
>>596
補給が届かない以上、18師団が佐藤同様に切れる、宮崎みたいに敵から奪う為に手近な敵に突っ込む、に走るだけ。
そもそも交代を敵が認める根拠がない。
18師団に遅滞戦術の一隊をあてがって、53師団の背後から攻撃を続行しても良いわけで。 >>597
田中新一中将なら、日本帝国を救うため、英国脱落の起死回生、回天を為すために、18師団と死んでくれと説得すれば納得してくれる。はず。
18師団には、ディマプールでの乱取りを許可すれば良い。 >>596
そもそもウ号も壮大な打通作戦の一部分と考えるべきなんだよね >>599
WHEN TIGERS FIGHT(XTR)や
Vinegar Joe's War: CBI(DG)では、
大陸打通作戦とインパール作戦はセットで、
CBI戦線での日本陸軍の戦略攻勢、
欧州でのバルジ作戦みたいな扱いやね。 連合軍から見るとその二つは連動してるように見えたかもしらんが、
たまたま同時期にシナ派遣軍とビルマ方面軍が攻勢発起しただけだと思う。 >>601
>たまたま同時期にシナ派遣軍とビルマ方面軍が攻勢発起しただけだと思う。
そんなわけ無いだろがアホ
連合軍の最大の目的は、中国からB29によって日本を爆撃するため
その補給路としてアッサム鉄道経由でレド公路を打通させること。
インパール作戦計画時には日本はその意図を知らなかったが
作戦開始のころは、それが明確に判明したため
(日本の飛行師団がB29とも初めて遭遇する)
インパール作戦の重要度が増した。
またそれに対応するため、大陸打通作戦も実施された。
米支軍が中国からビルマへなだれ込んだが
結果的にはそれが中国側にとっては大失敗。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています