北鮮は祖父が命令した「日本南鮮断交・南鮮武力侵入」が対南鮮政策での国是だった
しかし、孫は「日本南鮮断交」は継承したが、「南鮮武力侵入」を「南鮮極左思想侵入」へ切り替えた
これは南鮮の自爆政策をより進めるため、北鮮が燃料を注ぎ込み、延坪島砲撃事件ではっきりと分かったように成功しつつある