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>工藤達川は球史に残る4タテ食らったら当然腹を切るのですよね

球史に残るってこういうのだよ。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%B0%BE%E5%92%8C%E4%B9%85
稲尾和久

>神様、仏様、稲尾様[編集]
>1957年に当時のプロ野球記録[5]となるシーズン20連勝を記録するなど35勝を挙げ、史上最年少でのリーグMVPに選出[6]。1958年には33勝で史上初の2年連続MVPを獲得した[7]。
>読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは、第1戦を稲尾で落とし、第2戦も敗戦。平和台球場に移動しての第3戦、稲尾を再び先発に立てるも敗れて3連敗と追い込まれた。降雨による順延で中一日を
>はさんだ第4戦、三原監督は稲尾を三度目の先発投手に起用してシリーズ初勝利。第5戦でも稲尾は4回表からリリーフ登板すると、シリーズ史上初となるサヨナラ本塁打を自らのバットで放ち勝利投手と
>なった。そして舞台を再び後楽園球場に移しての第6・7戦では2日連続での完投勝利で、西鉄が逆転日本一を成し遂げた。稲尾は7試合中6試合に登板し、第3戦以降は5連投。うち5試合に先発し4完投。優
>勝時の地元新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊った[8]。三原はこのシリーズで稲尾を登板させ続けたことについて、「この年は3連敗した時点で負けを覚悟していた。それで誰を投げさせれば選手
>やファンが納得してくれるかを考えると、稲尾しかいなかった」と告白した。後年、病床に伏していた三原は、見舞いに訪れた稲尾に対し「自分の都合で君に4連投を強いて申し訳ないものだ」と詫びたが、稲
>尾は「当時は投げられるだけで嬉しかった」と答えている[9]。