ゼロ戦のプロペラ―メーカーがロシアでMRJの部品を製造
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51566
太平洋戦争で活躍したゼロ戦は、三菱重工業が開発し製造したものだったが、
実は外国の技術がかなり使用されていた。
例えば、機関砲はスイスのエリコン社のものをライセンス生産、
その機関砲の狙いを定める照準機はドイツのオイゲエ社のものをコピー。
無線方位測定装置は米国のフェアチャイルドのものをコピーといった感じであった。
エンジンは日本で設計したものだったものの、米国のプラットアンドホイットニー社製エンジンの影響を受けていた。
ゼロ戦のエンジンを製造していた中島飛行機多摩製作所では、
昭和16(1941)年の秋までプラットアンドホイットニー社の技術者が技術指導をしていたという耳を疑う話を聞いたことがある。

ゼロ戦で採用された国産独自技術として知られる超々ジュラルミン(ESD)は、
米国が同等の「7075」の開発をするのに7年ほど先行していた。
しかし、主翼の桁に限定された超々ジュラルミンよりも幅広く用いられた超ジュラルミン「2024(当時の呼称は24S)」は、
米国のアルコア社で開発されたものだった。

そして、ゼロ戦のプロぺラは、米国のハミルトンスタンダード社が開発したものを住友金属がライセンス生産していた。
正確に言うと、ハミルトンスタンダード社の技術はプロペラそのものではなく、プロペラの可変ピッチ機構であった。
ゼロ戦の敵だったグラマン「F4F」や「F6F」のような米国の戦闘機もハミルトンスタンダードの
可変ピッチ機構を組み込んだプロペラを使用していたので、同じ技術を使った戦闘機同士が戦っていたことになる。
このハミルトンスタンダード社は合併を繰り返し、現在ではUTCエアロスペースシステムズ社になっているが、
ロシアにハミルトンスタンダードの名を残したハミルトンスタンダードナウカ社という合弁会社を持つ。
同社は三菱航空機の「MRJ」の部品を作っている。