>95
それをいうなら、クラウゼヴィッツとジョミニを対比するのは、

社会における戦争とは何か?
 と
軍事行動はどうすべきか?

というそもそも別の目的を持った議論/論説を混同して同様に扱い、相容れないとしてませんか?

この2つの命題は現実において同時に存在できるはず。
というか現実に同時存在している。
(戦争論の成立過程という現実が、それを物語っている)