そして清正公の後釜は三歳殿。

基本薩摩が北上しても細川なら十分対抗できるやろ、という想定。
そんでもってもし、熊本城を抜けたとしてもその先には柳川藩というこれまたヤバイ武闘派が。
隣接する久留米藩はガチクズだが、鍋島と黒田が柳川まで後詰に出れば幕軍勝利は間違いない。

明治維新の時は
黒田→当主が島津出身。
鍋島→完全中立→尊皇派。
立花→尊皇派。

それで九州の対薩摩縦深防御態勢は戦う前から崩壊していたがw

ま、小倉藩がぼろ負けして関門海峡の交通権を長州に握られた段階で九州の親幕派は立ち枯れ必至だったけどね。