屈曲煙突時代長門の内装式スタンウォークの扉の配置を知ってる人いる?
写真を見ると右舷側に扉の裏側らしき白い物が見えるので、右舷側に扉があるのは確かだと思うんだが、左舷側がわかりにくい。
外装式スタンウォークの場合、左右両舷に扉が付いてることは三笠を見ればわかるんだが、内装式で左右両舷に扉を配置してたとなると、同じ部屋に通じる2枚の扉がたった2〜3m程度の距離で同じ壁面に並んでいたことになるよなあ。
いかにも無駄に思えるんだけど、そんな構造だったんだろうか?