単純に生産ラインの入れ替え新設の時期の問題よ
新しい工作機械入れて作った工場は規格化されてる

関東大震災で東京砲兵工廠が損害受けたのをきっかけに名古屋に一部を分担することに
昭和2年にアメリカのプラット&ホイットニーと契約し当時最新の機械を発注
日本側が用意した38銃の図面には公差が無かったので、P&W社が独自見解で公差を入れて製造ラインを設計
これが昭和6年に導入されて千種製造所起工、昭和8年8月から生産開始