キューバ危機の1960年代だと、在日米軍の配置はまだ沖縄への過度集中は行われておらず、
現在に比べれば本土にも(立川とか板付とか)主要部隊が多く存在してたはずだけど、
沖縄やグアム・フィリピン等の周辺諸地域がオーバーキル的な徹底攻撃を受けたのに比して、
どうして日本本土にはSSBN1隻撃沈すれば攻撃を食い止められるくらいソ連側の布陣が薄かったんだろう。