設計時には海軍の運用上全門一斉射撃は考えていなかったけど、
途中から全門一斉射撃を行うように海軍としての運用が変わった。
大和がその変更に対応できるようになったのは、本来別目的で開発されていた
発砲遅延装置の時間差の対応可能範囲に砲の後座時間が収まったから、ってとこでは?
こういう流れなら、松本氏の記述式と、公試で全門一斉射撃したって証言、
運用側から全門一斉射撃は出来なかったという証言が皆無なのと整合性が取れると思う。

なお、大和の発砲遅延装置は左右の砲と中砲に時間差をつける装置、
つまり、砲塔1基の3門一斉射撃専門の装置なので、この装置の装備そのものが
全門一斉射撃ができる証明とも言える。