【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.4
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旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。
■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1513262373/
■過去スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド
http://echo.5ch.net/test/read.cgi/army/1463822751/
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>813
>あまりに欧州戦線に対する知識がなさすぎる・・・
かつて多くの歴史家が、米軍は開戦当初の2 年間、「ドイツ第一主義」戦略を遂行できなかったとし、その理由を
1942 年にはアメリカ軍兵力の多くが欧州や北アフリカよりも太平洋に配備されていたこと、そして1943 年には欧
州と太平洋の兵力分布が均衡していたためだと論じた。しかしこの主張は「ドイツ第一主義」戦略がかなりの程度、
日本の軍事力の過小評価に基づいていたという事実を見落としている。結果として、ルーズベルトは政治的理由(つ
まりアメリカの国内世論) だけでなく軍事的理由からも、開戦前に想定された以上の戦力を太平洋に投入せざるを
得なかった。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf >>813
>ディエップが撤退前提の作戦だと知らないとかもうね
しかしアメリカ軍参謀本部はフランス領北アフリカへの大規模な急襲に関して強硬に反
対した。参謀本部は7 月、語気の強い覚書をルーズベルトに送付して意見を表明し、アメ
リカが「ドイツ第一主義」戦略から太平洋戦略へと移行するよう要請した。しかしながら
ルーズベルトは返信の中でこの要請への不快感を直ちに表明し、アメリカは戦略を転換し
ないことを強調した。軍の指揮官たちとのやりとりで彼が「最高司令官フランクリン・ルー
ズベルト」と署名するのは稀なことだったが、この時の返信にはそう記されていた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf
ステイムソンは6月19日,ボレロ計画を支持する理由をしたためたFDRへの手紙を,英米首脳会談が行われている
ハイドバークに届けさせた。マーシャルが「名作(a masterpiece)」とほめたこの手紙を読むと,陸軍長官の対独戦に
対する並々ならぬ覚悟が伝わってくる。
…着実かつ敏速にして容赦のないボレロ作戦の実行は,ヒトラーの対ソ戦をくじく意味でも,ドイツを敗北させ
戦争を終わらせる意味においても,最も確実な方法(the surest road)である。ボレロ計画は…敵の心臓の中心部
(the center of our chief enemy's heart)に届く一番容易な方法でもある。…ボレロ実施における最大の危険は,
太平洋における日本軍の存在であったが,…最近の太平洋中央部での(アメリカ軍の)勝利がこの懸念を
取り除いた。…戦争中に,より良いグリップを求めて手につばを吐きかける(筆者注:手をはずして握り直す
という意味か)ことは非常に危険である。
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/1356/1/001032220_03.pdf >>813
>ディエップが撤退前提の作戦だと知らないとかもうね
8月19日早朝、6,086人(5000人のカナダ軍(カナダ第2歩兵師団[2])と1000人のアメリカ軍とイギリス軍)
が作戦を開始したが、ドイツ側は既に迎撃準備を整えており、連合軍をやすやすと上陸させて、
至近距離まで引き付けて攻撃の火蓋を切った。連合軍は、待ち構えていたドイツ軍の強力な反撃にさらされ、
狼狽して作戦の遂行どころではない大混乱に陥った。30両のチャーチル歩兵戦車の揚陸に成功したが、
27両がコンクリート防壁に阻まれ、大粒の砂利に覆われ斜度のある海岸で履帯ピンを折損し、行動不能になるものが続出した。
>作戦は防御が薄い北フランスのディエップに上陸、攻撃ののちに6時間で撤退することを目標とし、
>恒久的な橋頭堡の確保は考えられていなかった。 >>802
>ヨーロッパ優先も同じ事。
>上でも挙げたような事実を。実際の行動を見ていけば、ヨーロッパ優先なんてのが
>口先だけだと理解できる。
米軍は決してドイツ打倒第一主義を放棄したわけではない。けれども太平洋戦争の影響で、
ドイツ打倒優先主義を現実化させるのに二年を要した。
(ドイツ打倒優先とのことなら、まずソ連にDデイの期日を報告しなければならない。)
>>813
>ディエップが撤退前提の作戦だと知らないとかもうね
上陸作戦それ自体は物理的に可能であっても、太平洋戦争の影響で延期せざるを得なかったということ。
>30両のチャーチル歩兵戦車の揚陸に成功したが、 >>802
>一方ヨーロッパにはなるべく兵力を出したくない。特に地上戦なんてやりたくないので、
「出兵できない」のと「出兵したくない」とは違う。
>>813
>ディエップが撤退前提の作戦だと知らないとかもうね
米英がドイツ打倒第一主義を軍事目標としては放棄していなかったという証拠にはなるが、
逆に言えば太平洋戦争の影響で、実行はずっと延期せざるを得なかったということ。 >>812
兵力的に欧州が多いのは陸戦主体である分仕方ないけど、予算的にはわりといい勝負。
B-29と原爆を対日戦予算として組み込んで良ければ、太平洋戦線の方がより多額の予算を
投入されている。
>>813
撤退前提なのは知ってるよ。
ガダルの半分以下の兵力で橋頭堡なんて築ける訳ない、威力偵察なのは大前提だ。
それでも、海兵隊一個師団でも投入していればあそこまで惨敗する事はなかっただろうし
経験を積ませると言う意味では、海兵隊を投入するべきだっただろう。 >>818
太平洋戦線では陸軍そんなに使わないんだから、出兵する事はできたはずだよ。
その為の物資も兵站もある。
その気になればトーチをノルウエーに向ける事もできたし、実際それは検討されている。
より無難の極みな北アフリカにしたのは、やりたくなかったから。 >>818
>米英がドイツ打倒第一主義を軍事目標としては放棄していなかったという証拠にはなるが、
軍事目標と現実が食い違っている、これほ台湾の帰属問題もそうだ。
○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html >>818
太平洋戦争に動員したのは主に海軍力なんで大陸反攻に必要な陸軍兵力への影響なんてゼロだよ。
ガ島でもメインは海兵隊だしね。
何しろドイツ本土を直接攻撃するのに必要な兵力数は数十万単位なんだから動員も訓練も年単位でかかるのは当然。
ホント史実を知らない人は的ハズレなことしかかけないなぁ >>822
>何しろドイツ本土を直接攻撃するのに必要な兵力数は数十万単位なんだから動員も訓練も年単位でかかるのは当然。
?
1943年12月に連合国遠征軍最高司令官としてドワイト・アイゼンハワー陸軍大将、
1944年1月にはバーナード・モントゴメリー陸軍大将が本作戦の地上部隊最高司令官である第21軍集団司令官に任命された。
『オーバーロード作戦』実施を決定したのは、1943年12月の『テヘラン会談』だろう? >>822
>ホント史実を知らない人は的ハズレなことしかかけないなぁ
では1943年12月『テヘラン会談』の意義は何ですか? 何のための米英ソ会談だったのですか? なんの準備もなく、兵員や兵器を大量に動員できると思ってるのはゲーム脳というやつなんだろうか >>825
いやだから1943年12月から準備して翌年5月までにフランス上陸という、余裕たっぷりのD-Dayプロジェクトなんだが? まあD-Day抜きでもソ連は快進撃してたし、また米英がドイツ打倒を放棄すれば西ドイツもソ連圏入りしてたろうよ。 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216 米軍主力がヨーロッパへ向けられている間、皇軍は大陸打通作戦でチンピラゴロツキをどつき回してた。
だから大陸打通作戦が遂行できたのはドイツのおかげ。大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍の裏には、
ドイツの悲しい犠牲があったわけで、ドイツの犠牲によって、大陸打通作戦をやらせて頂いた。ありがとうドイツ。 >>825
>なんの準備もなく、兵員や兵器を大量に動員できると思ってるのはゲーム脳
アウシュビッツとアインザッツグルッペンとゲシュタポの三点セットで用意周到に始めたナチ・バルバロッサw >>825
>なんの準備もなく、兵員や兵器を大量に動員できると思ってるのはゲーム脳
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201 >>825
一次大戦の例を見るに、一年あれば十分できるよね。 1年?
アメリカの参戦は17年4月。
で、パーシング率いるアメリカ外征軍が攻勢に本格的に参加したサン・ミッシェルの戦いが18年9月。
1年半でしかも戦車や飛行機はイギリス製やフランス製の借り物。
どの例を見て1年で十分と? この戦いは第二次世界大戦における初のドイツとアメリカの激突であったが、経験不足であった
アメリカ軍は多数の損害を被り、総崩れとなってファイド峠(Faid Pass)の西、80kmまで押し戻された。
このため、アメリカ軍は小規模部隊の指揮官まで入れ替えるなどの大規模な対策を行った。そのため、
アメリカ軍がその数週間後にドイツ軍と再戦した時、アメリカ軍はより効率的に行動することが可能となっていた。 >>833
>で、パーシング率いるアメリカ外征軍が攻勢に本格的に参加したサン・ミッシェルの戦いが18年9月。
たったの二ヶ月でドイツ降伏か、実にあっけない幕切れだったのうw
戦争:第一次世界大戦
年月日:1914年7月28日 - 1918年11月11日
場所:ヨーロッパ、中東、アフリカ、中国、太平洋
結果:連合国(協商国)の勝利 >>833
攻勢に参加してないのは、当初は守勢だったからでしょ。
18年9月以前のアメリカ軍の戦歴。
1917年
4月6日 参戦
5月 パーシングを司令官にアメリカ外征軍が編成される
6月 第1歩兵師団1万4000人がフランスに到着
10月 第1歩兵師団、ナンシーの戦闘で初陣を飾る
12月 年末までに五個師団をフランスに展開。第1・第2・第26・第42がヴェルダン付近。第41がトゥール
1918年
5月〜6月 ドイツ軍の春季攻勢に応戦。カンティニーの戦い・ベロ―の森の戦い・第二次マルヌ会戦など
5月 フランスに展開するアメリカ軍100万人を突破、半数は前線に配備
7月 初の攻勢作戦、アメルの戦いに参加
ほら、ちゃんと戦ってる。
一年と一ヶ月で100万人派遣できるんだよ。43年1月にアメリカ軍どうしてたよ?
戦車や飛行機も、フランスからエンジンの供給を特に頼まれたからだろ。
当時の航空機用エンジンはシリンダごとぶん回す豪快な仕様で、実用時間50時間とかだったから、
生産の一番のネックはエンジンだった。 >>836
数字を読めないんだね。単に100万運んだから戦えるとゲーム脳すぎるわな。
当時のイギリスとフランスの兵器生産があって初めて戦えた100万(実働ははるかに少ない)。
100万に連れてきました。だけじゃ戦えるわけがない。
だいたいWW2でその100万は大陸のドコにどうやって上陸させるんだ?
WW1みたいにフランスの港が使える状況ではないんだよ? >>837
港で荷運びの植民地軍兵士じゃないんだからよ、ちゃんと武装させた上で100万人送り込んでるぞ。
アメリカ外征軍の損害(戦死傷32万人)が18年9月以降の二ヶ月だけで出たとでも思っているのか?
戦ってるから損害が出るんだよ。
上陸させるなら計画の一つとしてあったようにトーチをノルウエーに向けりゃいい。
さすがにデンマーク案はキツ過ぎるからな。 >>837
>当時のイギリスとフランスの兵器生産があって初めて戦えた100万
朝鮮戦争の米軍だってそうだろう?
○林(百)委員 そうすると、朝鮮事変か擴大されても、六百五十億以上の費用は持たないという、
いかに擴大してもこれ以上日本は費用は持たないという答弁と私は解釈しますが、それでいいかどうか。
その点とそれからもう一つ、実は本日の新聞にも出ておるところでありますが、国防分担金にからまりまして、
米軍が最近発注する兵器が工場渡しになつておつて、米軍の照明弾二百二十九万四千発、ナパーム爆弾用
タンク十万二千個大阪機工へ注文しておる八十一ミリ迫撃砲四百八十九門、小松製作所及び大阪金属両社の
同砲弾六十二万五千四百発、豊和工業の銃身三千百九十ちよう、迫撃砲弾三十六万三千発、照明彈三万二千発
の入札が在日米軍の調達本部で行われて、
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0082/01306140082034a.html
○福井(勇)委員 前回私が佐々木説明員に説明を聞きました場合に、外国から終戦後入つた機種は、
兵器製造用のマザー・マシンとしてわずかに百二十一台しかないようであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/015/0798/01502180798021c.html 一次大戦の時は参戦翌月に外征軍を編成、その翌月には早速一個師団送ってるのに、
二次の時はヨーロッパ戦域アメリカ軍ができるまで半年。送った兵も二個連隊。
太平洋戦線では、1942年8月に海兵隊一個師団がガダルカナルとツラギに上陸、
さらに10月には陸軍の第23師団、11月には第25師団を増援として派遣。
海軍は正規空母四隻(エンタープライズ・サラトガ・ワスプ・ホーネット)、
戦艦三隻(サウスダコタ・ワシントン・ノースカロライナ)を主力とする艦隊を出して支援。
内正規空母二隻(ワスプ・ホーネット)と戦艦二隻(ワシントン・ノースカロライナ)は
大西洋艦隊から引き抜いた。
同じ頃欧州戦線では、11月にトーチ作戦で三個師団と一個機甲師団が北アフリカに上陸。
海軍は正規空母一隻(レンジャー)と戦艦一隻(マサチューセッツ)を主力とする
艦隊を出して支援。
どの辺が対独戦優先されてんだよ? 現実を見ろ。 >>836
>43年1月にアメリカ軍どうしてたよ?
太平洋戦争で米軍が主導権を握る時期が1943年12月以降で、独ソ戦の赤軍と比べても遅いんだが?
日本のオーストラリア空襲は、太平洋戦争中の1942年2月から翌1943年11月までの期間にわたり、
連合国の一国であるオーストラリア本土、地域の主要空域、周辺諸島、沿岸輸送ラインの船舶が、
大日本帝国海軍および大日本帝国陸軍の航空機により行われた一連の空襲の事を指す。 >>840
>どの辺が対独戦優先されてんだよ? 現実を見ろ。
1943年12月以降の米軍はドイツ打倒第一主義を遂行すべく、ヨーロッパへ向けて大規模派兵を進めた。
>テヘラン会議声明から、日本は、連合国軍は欧州に集中し、
>シナを放棄して日本軍の機甲・地上部隊に任せたと判断するだろう。
そのおかげで皇軍は大陸打通作戦で大勝利して、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 >>838
だからそれは守勢のケース。すでに欧州に幾重もの塹壕が張り巡らされた状況に兵士を送るのと
ここでの仮定である「すでに大陸が占領されたあとに上陸反攻作戦を実施する」までの期間が同じなわけないだろ。
しかもダンケルクで敗退して兵器も大量に失っているイギリスや占領されたフランスに兵器を融通させることもできない。
無い袖は振れないだけ >>843
は?
レンドリースでソ連はもちろんイギリスにも大量に兵器供給してるけど? >>838
で、ノルウェーに上陸して何をしろと?イタリアへの牽制にすらなりやしない
永世中立国のスウェーデンでも占領して国際的に批判されるかw >>845
そんなもんドイツ本土攻撃の足がかりに決まってんじゃん。
あとはPQ船団の安全確保。
ところでスウェーデンが永世中立国とかどこの世界線の話?
>>846
むしろ武器貸与法で参戦前から。 >>847
へー武器貸与法でドイツ軍に太刀打ちできるような高性能兵器を送っていたとは知らんだ
どこの火葬戦記だ?w
ああ送ったけど性能悪すぎて訓練にしか使用できなかったものはあったかw
ノルウェーを本土攻撃の足がかりとか世界地図を見たことがないとw >>848
知らなかったのなら教えてあげよう。
二次大戦で英軍が使った銃弾の1/4は武器貸与法でアメリカから供与された物だ。
キミこそ世界地図見た事ないの?
オスロ-ベルリン間は直線距離で850キロよ。 >>849
世界地図を見たこと無いのが確定したね
海があることも知らないで定規で測って850キロ(どやぁ)だとさ
キミはドーバーを川と同じと言ってたスターリンと同じ認識なわけだね
だったらノルウェーなんて回り道せずにイギリスから歩いてドーバーでも渡れば?
>二次大戦で英軍が使った銃弾の1/4は武器貸与法
そんなのは知った上での話しなんだが・・・
あと通年の話なんてしてないから。
何年の話かも理解してないの?それとも誤魔化してるの?
それと日本語が通じないようだからもう一度書いてあげようか?
いつ「ドイツ軍に太刀打ちできるような高性能兵器を送っていた」の?
逃げるなよ >>850
そんな事言ったら北アフリカだって海の向こうじゃん。シリアから回っていくのか?
ノルウェーに空軍基地を設置できれば、史実では苦労したドイツ東部〜南部への空襲が
ずっとやりやすくなるぞ。
戦闘機の護衛も付けられるしな。
Uボートの活動も大きく制限できる。
スウェーデンからの鉄鉱石輸入を絶てばドイツの兵器生産は重大な影響をきたす。
ぜんぶトーチノルウェー案で提示されていた利点だ。
誰も高性能兵器なんて一言も言ってないだろ。
銃弾は兵器の基本だぞ。これがないと戦えない。 それにしても酷い話だわな。
史実で少数のDAK相手に凹られて「戦えんのか?」とルーズベルトに悲観されたアメリカ軍に
史実よりも早い時期により強力なドイツ軍とより準備不足のアメリカ軍を戦わせようというんだから。
大敗を喫して米世論が反戦ムード一色になるのが目に見えるなw >>851
へー、人が>>845でスウェーデンを挙げてるのを否定したくせに
>>851では掌を返してスウェーデンとドイツを断つなんてどの口が言い出すんだ。酷い二枚舌だな
>>851
銃弾だけでは戦えない。当たり前の話だ。
イギリスが使えないといって実戦仕様しなかったP-39で戦わせるのか?低空メインのロシア戦線でもないのに?
だから高性能な兵器だと言ってるんだよ。特に人命尊重のアメリカなんだから。 >>853
根本的に認識が間違ってるわな。
対独戦優先と欧州大陸上陸は=ではない。
勝利できる戦略がなければ早々に上陸などできるはずがない。
ゲームみたいにリセットしてやり直しなんては無理なんだよ。
あの多大な損害を蒙った米英の戦略爆撃すらない状況で欧州上陸などどんな愚将でもするまいよ >>854
スウェーデンの鉄鉱石はバルト海をドイツの船で輸送してるから、それ沈めても何の問題もなかろう。
スウェーデンは永世中立国でもなんでもないし、交戦国と貿易している船ならスウェーデン船を
沈めるのだってアリといえばアリ。
無制限潜水艦作戦の飛行機版だな。ドイツはやってたぞ。
イギリスに送る兵器なんだから、アメリカの人命尊重とか関係なかろ。
銃弾がアメリカから来れば、その分のリソースを他の生産に振り向けられるしな。
それに高性能兵器じゃなくても、たとえば1940年9月の米英駆逐艦譲渡協定で供与された
タウン級駆逐艦にはUボートを撃沈した艦も多数ある。
爆薬満載してドイツ占領下のサンナゼールのドックに突入した艦もあったしな。 >>855
別に上陸だけに限定してもないけどな。
対独戦優先を言うなら大西洋艦隊から戦力引き抜くなって話だし、
その大損害をこうむった戦略爆撃隊が新型機要求してたんだから、
B-29を欧州戦線にも回してやればよかったんだ。
トーチをノルウエーに向ける事自体はアメリカもイギリスも勝算無しとはしていないぞ。
ただ損害が増えるのを嫌っただけ。ソ連に任せとく方がお得だからね。 >>850
> ドイツ軍に太刀打ちできるような高性能兵器
www
戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm
↑
1941年11月、ルフトバッフェの非力さに衝撃を受け、その設計者は自殺してしまった!! >>850
>キミはドーバーを川と同じと言ってたスターリンと同じ認識なわけだね
ドイツ人はソ連軍に感謝してるのに、何で日本人はソ連軍に感謝しないんですか?
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html >>850
> ドイツ軍に太刀打ちできるような高性能兵器
???
『・・・1942年から43年の間、P−40航空隊は北アフリカ、シシリー、イタリアの航空戦で鍵となる役割を果たした。
ある日の彼らの任務は爆撃と機銃掃射であり、別の日は中爆の戦闘護衛であった。
その欠点にもかかわらず、この種の航空戦においてカーチスP−40は優れた兵器であった。
それは決して高速で高高度を飛行できる機体ではなかったが、タフで、信頼でき、重武装で、相当量の爆弾を携行でき、そして中国や太平洋と異なり、交戦した敵機よりもマニューバブルであった。
P−40パイロット達は、より最新のライトニングやサンダーボルトやマスタングで飛びたいと願っただろうが、ウォーホークはその時点での唯一の米国戦闘機であり、彼らはそれでベストを尽くしたのだった。・・・』
(カール・モールスワース、MTOのP−40ウォーホークエース(オスプレイ社刊)より引用)
http://www.geocities.jp/yoyuso/p40/p40gall.html >>850
> ドイツ軍に太刀打ちできるような高性能兵器
ナチ・バルバロッサが、ソ連の何に退けられたのかを知らないのか?
「1941年の秋、モスクワ攻防戦の一番危機的な時期にゾルゲが獲得に成功した情報のおかげで、
ソ連指導部は極東、シベリア、中央アジアにいた師団の一部をモスクワへと配置換えする決定をとることができました。
この師団らが私たちの首都へ迫ろうとしていたドイツ軍を撃退する上で計り知れない重要な役割を演じたのです。」
https://jp.sputniknews.com/russia/20151003988176/
赤軍の精鋭部隊が極東に貼り付けられていなかったら、ソ連国境突破も出来なかったろう? 『ドイツ打倒第一主義』に関する二つの誤解。
1 ドイツ軍が米国を脅かしていた
2 米国は中国を助けるために戦争した
空母機動部隊を持たないドイツ軍が米国を脅かすことなど無いし、また米中関係が最重要だったわけではない。
1 まず太平洋戦争で日本軍に勝利すること
2 日中戦争はなるべくスルーして欧州派兵 師団捜索隊用の戦車である軽装甲車と
戦車部隊用の捜索戦車である軽戦車は一つにまとめろよと思わなくもないw テケは更新元が元だからテケでも十分進化してるし、兵科も違うから戦車は装備し辛いのもわかるけどね
中戦車の大型化が急速に進む40年代以降はもう軽戦車は戦車戦の主力になりえず、連絡用とかのごく少数配備になるだろうから次期軽装甲車の開発計画とまとめられる可能性はあるけど テケは砲塔を撤去し自走迫撃砲にするを可とす
なんて思ったり
でもハ号以上は勿体ないよね〜、ってのを思うとやっぱりベースはテケかな
様々な派生型も作られてるしね テケ作る前の12年の兵器開発方針で
対戦車砲
・牽引だと機動性も生存性も辛い
・戦車が敵の不意を突くように運用される以上対戦車砲はその不意を受けてからの配置になるんで機動性大事
騎兵
・今後対戦車砲の機動運用が行われると偵察に行った先で対戦車砲に遭遇する可能性が高まる
・突撃しないので限定的に対戦車砲に耐えられる防御があると偵察しやすい
・対戦車砲程度の火力があると、対戦車砲の機動運用にも使える
・車体に対戦車砲を載せた(ソト的な案)だと左右に撃てないので使いにくいだろう
歩兵
・軽装甲車はあちこちに使われるので弾薬運搬に使えない
・居なくならない弾薬運搬専用車作ってくれ
・観測とかにも使えるやつ必要だと思う
テケ、テレ、ソダ、ソトはこの時にだいたい決まったぽいけど
肝心のテケが装甲も武装ものぞみに届いてないのはサイズや軽戦車との整合性なんだろうね 正直日本軍戦車内で理想の騎兵戦車なのはケニなんだよなぁ…
同軸機銃もあって時速50km/h(もちろんハ号の例からいって実際はもっと出せた筈)の快速
狭いとはいえ二人用砲塔で偵察用にも可
まぁまぁ軽い ハ号をもうちょっとゆったり作っとけば色々対応できたんよ
ってか火砲もうすこしシステマチックに作れよ ハ号後継が全然アレなんだから
仮にハ号に余裕があっても、初期状態から何ら手を加えずだったんじゃねえの ハ号は八九式のエンジンのままで40km/hオーバーがそもそもの目的なのだから、あれ以上ゆったり作るのは無理では >>868
特殊牽引車の略でTK車。
偵察警戒車でテケ車と覚えるんだ。 テケって、九八式三十七粍戦車砲積んでる後期型の砲装タイプならそれなりに自走速射砲として使えそうなんだが
自走37mm砲としては、砲手と指揮と装填手を1人で兼ねるしかない余裕の無さが癌だわな >>875
量産されてないし、時期的にはもはや実質劣化チハ改みたいなもんで魅力がないから
ケヌやケニ改とは違って中途半端に新規開発だから省力兵器好きからも見向きもされにくい とあるアニメの再放送で「チトさん(猫の名前)はネズミは卒業したって言ってました」というセリフがあった。
マウスを卒業してしまうようなチトとか最強だな 日本軍に理想だったのはBT-7Mみたいな戦車なんだよなぁ
日本戦車の中で敢えて言うならチホ車をもうちょい改良した感じか 理想は・・・たぶんBTとT-34の中間のA20とかA32だと思う 国軍戦車部隊にとって何が理想かは
いつの時点か、史実世界での話か、if世界での話かで変わるから分からん ケホ車は企画した時点でチヘの劣化版でしかないし
多分それ故に開発後回しにされ続けてしまったのだろう
逆に言うと1942年当時の技術水準でさえ自重9t、全備10tの枠内ではあの程度ということでもある
自重1t増しで設計されていれば一式四十七粍戦車砲(「短」でない方)を載せられそうな気もするし
それなら高速なチハ改みたいなものでそれなりに開発&生産の目がありそうな気もするが
多分全備10tが縛りだったんだろうなあ 47mm短の初速は740m/sか
47mm速射砲の試験結果を見るに1000m超えても50mm弱ぐらい抜けそうだから
シャーマンの近距離側面やM3の正面には歯が立つんだな
37mmだと初速上げた試験砲でもあんまし大した数字じゃないから、47mm化は正しいが
だったら今あるハ号に短47を乗せられないのかねとか考えちゃうよな 日本戦車はシーソー式のサスだから
前後の重量バランスがある程度均等でないと困る(多少なら転輪の場所で補える)
これが火砲を車体中心でエンジン軽くなると後ろに伸ばさないとバランス取れないし
前面装甲や変速機がごつくなれば同様に後ろに車体伸ばさないといけない
結果どうしても車体全長を圧縮させにくく、これが無体に車体を重くする要因になってる気がする 短47mmと一式47mmの弾薬ってそれぞれ共用だっけ? ケニとBが98式軽戦車として採用されて、
S17年頃に47mm戦車砲を搭載して二式軽戦車として採用、
そんなことを夢想してみる。
そして模型を作ってみたい。 当時の理想的な軽戦車だな
47mm戦車砲と同軸機銃という武装のチョイス、8トン程度の重量、50km/h弱の快速 >>885
ああ、だからチリ車がティーガー2並みに長い車体になるのか 短47mmがかなり軽量で優秀ってどっかでみた覚えがあるんだが、重量について知っている方プリーズ ハ号は他国みたいに車体使ってオープントップの対戦車自走砲作ればとは誰でも考えるだろう
乗せる砲が足りないんだが まんま短47積んだ試製自走砲のホルだかを計画してるやん
もっとも末期なもんで例のごとく砲も車体も試製の段階で終わってるけど 当時の日本の戦車砲で軽くするために威力を落とすような事したものが優秀とか言っちゃうのはダメだと思うよ いやしちゃいけないとかその見方は偏狭だと思うぞ
工業製品はまず重量やコストと性能がバランスされていないといけないわけで
敵戦車の側面を抜けるならある重量で歓迎されるものが、例えば長57mmみたいに重いけど正面貫徹には至らない、みたいなものは手放しで喜べないわけで
現在の視点で当時の状況を鑑みずにやれタイガーだの持ち上げる向きには辟易としていたなあ
優秀な兵器って、必ずでかくて強いものなのかねえ その辺は治金技術の差もあるからな・・・・
英の6ポンド砲は試製57mmを上回ってるし・・
ロシアのは長砲身で高価だけど威力は比べ物にならん位だし 船のエンジンとか、あえてデチューンした物を積んだりするしな。 >>885 >>889
それは考えすぎ
チハの全長が長いのは超壕性能の確保とエンジン長さのため
チヘ・チヌがあまり大きくなってないのはエンジンルーム長が似たようなもので済んでいるせい
チリが長いのは、あの後部にびっしりエンジン詰まってるから
バランス取りが必要なほどノーズヘビーなら後部の装甲厚増やしたり最悪ウエイト入れて対応する だから4式戦車では7つめの転輪を最前列に置いてノーズを支えてるわけよ
その分転輪数が増えて全長も伸びてるわけだが
面白いことにエンジンは同時期のドイツ戦車とかと比べると後方にハミ出てない
これはエンジン中心が第七と第六転輪の中間に来るから(ドイツ戦車だと最終転輪の上に来る)
ボギーで均等に2つの転輪に荷重をかけたかったんだろうが
手っ取り早くエンジンを後ろにはみ出すことすらしてないのに錘なんか置ける訳もない
なおルノーFTはこうだから、オーバーハングにエンジンをはみ出させること自体は既知
ttp://3.bp.blogspot.com/_BT2u4Ky7L-w/S6gA8QcbbuI/AAAAAAAAAyY/04xJ3H2j1NY/s1600/RenaultFT-17TankInternalLayoutDiagram.jpg 四式のサスは片側2本のコイルバネ式で
前からボギー・ボギー(ここまで前側バネの担当)/前ボギーとリンクさせた単輪・ボギー(後側バネの担当)
三菱図面見る限り量産型とされる車体では誘導輪軸付近までエンジンがあって冷却関係の補機は誘導輪軸より後ろまで出てるよ
計画戦車は知らんけどチト・チリともに砲塔リング位置の調節でバランス取ってる範囲で
かといって車体前方も変速機が占めてるし
殊更にバランス取りのために車体を伸ばしてるとは見えないんだがなあ
チハなんかは超壕性確保のために接地長を稼がずを得なかった関係で誘導輪がだいぶうしろに出てるけど
あれをシーソーゆえのバランス取りと言うのは苦しいかと ちなみにチハ・チニの場合はもっと短くすると
要求性能を満たすためには尾体が必要になる模様(チニはそうなった)なんだが
そこまで拘った超壕性能、どこまで役に立ったのか、戦記モノ読んだりした程度じゃわからんのがもやもやする
教えてエロい人 満ソ国境陣地を突破するのには超壕性能は要ると踏んだんじゃなかろか。なお八月の嵐。 チハのサスペンションの仕組みがよくわかる動画
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=8ZVAjZrDVtA
シーソー式サスペンションはこのスレの人には常識でしょうが、
戦車初心者の自分はこれで仕組みが理解できた
旧式なイメージだったけどクリスティー式などより凝った仕組みなんですね ケニBのサスペンションってどんな機構で、
実用性はあったのだろうか? >>905
非常に性能が良くて褒めこそすれど貶す評価は無いんだよなぁ、チハのサスって 現場で破損したら修理大変そうだけど、よく考えたら戦車の足回りって全部そうか >>905
大重量の車輌に対してはどうだったのかなこれ、実際チリ車では色々と足回りの案はあったらしいが 満州陸軍に戦車ってあったの?
南京政府には日本が有償譲渡してたみたいだけど >>910
メインスプリング1本で連結したボギー2個を1ユニットとすると
1ユニット自体の限界はあまり高くないところにあるだろうね
ただ負荷に応じてメインスプリングの断面積を増すかユニット自体を複数にすることで
ある程度の重量まで対処はできる、というか当時の実用上は他の方式に対して特に限界が低いことはないと思う
牽引車では早くからメインスプリングが2本あるタイプを採用してるし、チニ・チト・チリも片側2本タイプ
断面積増というかスプリング自体を太くするのが限界だったとしてもユニット数を3、4と増やしていくことで更なる大重量対処はまあ可能だろう
ただ、これボギーの数というかユニット数が多くなっていくと構造的に複雑になってしまって
結局他のボギー式と比べてもメリットが少なくなっていくんだよな レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。