まぁ企業的な違いだね(当時の社名はいすゞじゃないけどね。当時はまだトラックに付けた名前。企業はヂーゼル自動車工業といって今の日野といすゞのもとになった企業)
輸入自体が当座の処置で、本来は共同出資の企業で燃料噴射装置をライセンス生産する予定だったから
統制発動機で先行してたから輸入でしのぐことになったのよ、そして情勢がきな臭くなって一旦途絶えてしまうと。
統制発動機の設計自体、ヂーゼル自動車工業が主体で開発
というかトラック用のディーゼルが当時の日本にしては性能・耐久性共に優秀だった
設計技術全般でヂーゼル自動車工業が上回っていたと言える
三菱が車両用のディーゼルエンジンの技術を高めることができるのは、統制発動機の生産で経験を積んで、そしてそれのボアストロークを拡大した統制四式以降
単純比較はよくないけど、凄い簡単に言うと、チハに積まれた三菱・ザウラー式の4分の1の排気量で半分の出力のエンジンが作れた