>>822
1943年(昭和18年)になると、ごまかしは戦果以外にも及ぶ。
ガダルカナル島からの撤退は「転進」に、アッツ島の守備隊全滅は「玉砕」に言い換えられ、大本営の作戦や補給の失敗は不問とされた。

44年(昭和19年)以降、本土が空襲にさらされ、戦いの前線が迫ってきても、大本営はウソを発表し続けた。
ごまかしや帳尻あわせが破綻した後は、神風特別攻撃隊の攻撃が発表の目玉に据えられた。
特攻隊の戦果は大幅に水増しされたが、国に身を捧ささげて得た戦果を疑うことは許されない。大本営は特攻隊まで戦果の取り繕いに利用したのだ。

辻田さんの集計によると、大本営発表では太平洋戦争中に敵の空母は84隻、戦艦は43隻が撃沈されているが、
実際は空母は11隻、戦艦は4隻しか沈んでいなかった。
でたらめな戦果は昭和天皇にも奏上され、
天皇は戦争末期に「(米空母)サラトガが沈んだのは、今度で確か4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる。