>>530
台湾総督府は製糖を筆頭にインフラ投資と産業振興の成果が出て来て黒字転換できたけど朝鮮最後まで赤字だった

改軌論は何回かあったけど一番大きな大正時代の帝国議会での論争で地方議会の我田引鉄に負けて無くなった
(改軌こそ無くなったけど車両断面等の車両規格よは狭軌でも英本国の規格より全長以外は全て上回るものに変更された)
昭和期には標準軌による弾丸列車が計画され、一部は建設も着手されトンネルや用地は戦後の東海道新幹線にそのまま使われた

道路は山が大半な国土であることに加え、そもそも自動車が列強と比較して普及していなかったので需要からして推して知るべし
(ちなみに東名に先立つ30年前、満州国では亜細亜初の高速自動車道路が開通済み)

>>531
国内より外地や満州重視だったのは間違いないけど、満州事変後に関東軍参謀長が大蔵省の主計官の肩を揉んだり、主計官の趣味を調べさせて、釣りだとわかったら視察の列車に釣り道具を詰め込んで川沿いに停車したところで釣りの官官接待をしたりとかいうエピソードを聞くと
臨時軍事費特別会計が立ち上がるまでの平時の予算のやりくりでは陸軍も大蔵省にはなかなか意見できるものではないと思う