>>61

急遽作ったもにであろうがシュリーフェンプランのように延々と練られたものであろうが戦争は戦争基本方針という大戦略に沿って進められる
「組織は戦略に従う」の通りである
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」は先行して取りまとめられた「対米英蘭戦争指導要綱」より要旨のみ抜粋したもので、
日本海軍のインド洋作戦自体は副案そのものにも記載の通り大戦略に沿ったもの

「(1) 帝国は左の諸方策を執る。
    (イ) 濠州印度に対し攻略及通商破壊等の手段に依り、英本国との連鎖を遮断し其の離反を策す。
    (ロ) 「ビルマ」の独立を促進し其の成果を利導して印度の独立を刺激す。
   (2) 独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。
    (イ) 近東、北阿、「スエズ」作戦を実施すると共に印度に対し施策を行う。
    (ロ) 対英封鎖を強化す。
    (ハ) 情勢之を許すに至らば英本土上陸作戦を実施す。
   (3) 三国は協力して左の諸方策を執る。
    (イ) 印度洋を通ずる三国間の連絡提携に勉む。
    (ロ) 海上作戦を強化す。
    (ハ) 占領地資源の対英流出を禁絶す。」


結果としてインド脱落は叶わなかったが、インド洋作戦により当時日本軍が把握していなかったアッズ環礁以外の西インド洋の英根拠は打撃を受け、対戦末期まで英海軍によるインド洋方面からの攻勢は行われなかった