>>92
リンク先では
この「腹案」では「十分な戦争計画」というには「不完全なものであった」ということを指して「戦争計画「不在」」と主張しているが、同時に、


・1941(昭和 16)年 11 月 15 日、当時の日本の最高戦争指導機構と言える大本営政府連絡会議において「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択された。
・米英蘭との開戦(太平洋戦争)における、唯一の日本の戦争計画あるいは
戦略と言えるものであった
・この「腹案」のみが国家レベルで成立し
ていたのである。
・(ミッドウェー作戦における軍令部と連合艦隊の対立について)今度の対立では、「腹案」という戦争の全体計画からしても、軍令部側に理があ
るはずであった。


と書いているように腹案は戦争計画としては不完全なものであったが、唯一の日本の戦争基本方針として「採択」され、実運用として効力があったことを明記している