プーチン大統領は、12日にテレビ放送されたドキュメンタリー映画で、1991年の旧ソヴィエト連邦崩壊は残念だったとして、崩壊後しばらくは生活苦からタクシーの運転手として働いて収入を補っていたと明らかにした。

ソ連崩壊後、多くのロシア人が困窮し、新たな収入源を模索した。プーチン氏は当時、無認可タクシーを運転する道を選んだのだという。
映画「ロシア、最新の歴史」の中で、「ソヴィエト連邦と呼ばれていた歴史的なロシアが、あれで崩壊してしまった」と発言。さらに当時の欧米は、ロシアがさらに崩壊するのは時間の問題だという認識だったと述べた。

プーチン氏がソ連の崩壊を悲劇だと考えていることは、広く知られている。だが、当時の個人的な苦境について話すことは、これまでなかった。

プーチン氏は、「臨時収入が必要な時もあった」、「車を使って、個人運転手として、臨時収入を得ていた。率直に言って、こうした話をするのは不愉快だが、残念ながらそれが現実だった」と話した。

当時のロシアではタクシーはほとんど走っておらず、自分の車に見知らぬ人を乗せて、家計をやりくりした人は多かった。救急車などの業務用の車両をタクシーとして使い、臨時収入を得る人もいた。

プーチン氏はソ連の情報機関、国家保安委員会(KGB)の職員だったことが知られている。

しかし1990年代前半には、サンクトペテルブルクのアナトリー・サプチャーク市長(当時)の事務所で働いていた。
1991年8月にミハイル・ゴルバチョフ書記長(当時)の政権に対するクーデターが発生したのを受けてKGBを辞めたと、プーチン氏は以前から説明している。このクーデターがソ連崩壊へとつながった。