河内から長門まで、主砲口径は30→36→40センチと増えたが、舷側装甲は垂直12インチで変わらず
材質は変わったけどね

鋼鈑製造設備がインチ刻みだったというような事情があったのかもしれないが、いずれにしても自艦主砲への耐久という発想はなかった