レーション(というか戦場での飯)メニューNo.49
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>損耗率が高いから補給が必要になる当たり前の事態
ベトナムの最前線に送られた新任将校のようだ 小隊長の2割が後ろから撃たれているとか少尉の寿命は赴任から平均2週間とかひどい話ばっかりだね
ソ連のT34くらいの勢いで大量生産しないと追いつかない 敵が基地内に雪崩れ込んで来たのに乗じてクソ上官が引き篭もってる掩蔽壕に手榴弾放り込んだり 何そのベトコン決死隊アシストw
メルギブの映画でなんか決死隊やってたな…10:1の戦闘交換比で米国に勝てるみたいな戦略ドクトリン ベトナムで四方八方にトンネルを掘って米軍と戦ったのは
硫黄島での旧日本軍の戦法に似ているのだが
これって戦後残った日本軍の指導に依るものなのだろうか? 戦場では穴を掘るってのはいろはのい、みたいなもんだからどこの指導とかカンケーねーよって ただ穴の掘り方にもコツがあって、何回か直角に曲げる(火炎放射器対策)
出入り口を複数作って高さを変える(換気が自然に行われる)なんかは
指導か知識がないとできないよね。
フランス留学時代のホーチミンが一次大戦の戦訓から学んだかもしれないけど。 https://www.sankei.com/column/news/170228/clm1702280003-n1.html
>「新ベトナム人」と呼ばれた旧日本兵は、
>各地の士官学校の教官となって戦争の知識を教えた。
>54年にベトナムがフランスを破った「ディエンビエンフーの戦い」では、
>司令官の参謀の半分を日本兵が占めていた
これを読む限りだと旧日本軍指揮官の影響は有りそう 厳密には違うがディエンビエンフーは
典辺府 と漢字で書いてもまあまあOKらしい(典の字はかなり離れている)
ベトナムは呉音だから漢字で書いた場合に音読みにかなり近いんだよなあ >旧日本軍指揮官の影響
太平洋戦争では負けたけど、ナム戦では勝ったで!…って所か。
流石、元寇を二回も退けた国々ではあるねw >>862
アホかw
硫黄島や沖縄の戦訓をなんでベトナムに残った日本軍将兵が共有してるんだよ?w
指導があったとしたら普通にソ連か中国だろ >>865
何処に硫黄島と沖縄で戦った戦訓と書いてある?教えてくれよ
日本軍の洞窟陣地はアッツ島や中部太平洋で使われている >指導があったとしたら普通にソ連か中国だろ
日帝残滓、北朝鮮説ってのもあるね。 ソ連って塹壕戦のノウハウあるのかね?
一次大戦でもやってないだろ? >>868
やってるみたいよ、一次大戦の東部戦線でも塹壕戦 日露戦争だと
ロシア兵はトーチカからマシンガンをぶっぱなしていたイメージが有るのだが
塹壕を掘っていたのは日本兵だけだったのかな? もう大砲が登場した頃からあったのでわ?
南北戦争とかナポレオンの頃から ナポレオンの頃には歩兵が全員小銃を持っていて大砲の機動的運用が本格化していたけど
会戦では騎兵の突撃で戦局をひっくり返すなんて事もあって塹壕掘ってにらみ合いってのはほとんど無いね
時代が下った普仏戦争で機関銃が登場したけど大して役に立たなかった事もあって塹壕戦にまでなってないし クリミア戦争だっけ
音速を超す弾丸を発射するライフル銃が大量に導入され
兵士たちはあらゆる音程で飛んでくる弾丸に晒され
たった1発の銃弾で腕が切断されたりした
全ての兵士、軍人はそれまでの戦闘と違うこの戦争に勝手が狂ってしまい
1人の司令官は馬で敵陣の前の強行突破も出来る!と指示して突っ込み、
ライフルどころか砲弾の嵐の前に全滅した
云々
どっかでこんなのを読んだ
ミニエが1851年に弾殻なるもので銃弾の底を押し広げてライフリングに食い込ませる方法を開発し
クリミア戦争はそれが実戦で使われたものとしてはほぼ最初の戦闘だったんだと
そしてそれが南北戦争、戊辰戦争、普仏戦闘と続くわけだ 1954年の戦闘糧食「レーション」を60年以上の時を経て開封するとこんな感じ
https://gigazine.net/news/20190530-ration-survival-food-packet/
軍事行動中の兵士たちに向けて開発された戦闘糧食(レーション)は劣悪な環境にも耐えうる
「保存性」と「摂取カロリーの最大化」を極限にまで高めた食事。このレーションの保存性を
確かめるべく、1954年のレーションを60年の時を経て開封してみたムービーが公開されています。
https://youtu.be/baB5FfVnjlI 関東大震災の時には米国からも緊急援助が行われ、米海軍名物の4本煙突平甲板駆逐艦が
全速で多数のコンビーフ缶を輸送してきたとか。 震災時の救援物資でアメリカの豊かさが庶民レベルで刻み込まれたんだよね
当時毛布を受け取った人はこんなに暖かい布があるのかとびっくりしてしかも返さなくていいのかと二度びっくりしたとか
イギリスは大量のポルトガル産ポートワインを届けてきたそうで何だったのやら 東日本大震災の時はミンスは英国の救援の申し出断ったんだよな…
でも、それ聞いた時は英国って、やっぱ国際救助隊気質なんだなぁ、とか思った。 関東大震災って9/1で真夏のクッソ暑い時なのに暖かい毛布なんているか? 地震と火事に襲われて着の身着のまま逃げてきて、ほうほうの体でたどり着いた避難所で差し出された毛布と汁物
どれだけ安心すると思う?
大の大人でもわんわん泣き出すくらいだと思うぞ 食べ物はいいけど、九月に毛布はなぁ……。
下に敷くなら筵の方がいいのでは? ちなみにスパム缶詰はソ連向けのレンドリース物資として他の大量の兵器や資材と共に
ドイツと戦争中のソ連に送られましたが、これはソ連軍でも大変好評で後にスターリンは
スパム缶のメーカーの社長にかなり高位の勲章を贈ったとか。 関東大震災の時は試運転中の戦艦長門が戻ってきて
東日本大震災の時は東南アジアに向けて航行中の おおすみ? が引き返して来た
有事には機動力のある軍(自衛隊)の存在は大きいね >>882
中には貴方みたいに、こんな残暑厳しい時に毛布なんか被れるかと激昂した人もいるかもしれないけど・・・
例えばスポーツの後、大きいタオルを頭から被って一息ついたりした経験はないのか?
柔らかくて肌触りのいい、タオルや毛布に体を包まれるのはリラックス効果があるんだよ
スポーツ選手がタオルを頭から被って集中力高めてたり、救助現場とかで救助された人に毛布を被せたりするのはそういうこと というか単純にあの年代だと夜はめっちゃ冷えるから毛布必須なのでは?ん ちなみに1923年9月の最低気温は、
1.2欠測
03 25.0度
04 24.5度
とかで、雨が降った9/10がぐっと下がって19.8度。
まぁ、アメリカから来た毛布なら、被災者の手に渡ったのは
10月とか11月かもしれんけどね。 毛布って化繊じゃなくて
天然の羊毛だよねえw当時w
暑さ寒さも彼岸(3月・9月の23日前後)まで言いましてなw 日本にはなぜ朝食を提供する店がないの? 「お腹が空いてしまうではないか」 (サーチナ)
住んでいる国や地域が異なれば、文化や習慣は異なってくるもので、日本と中国の食文化にも大きな違いがある。
また、「朝食」に関する文化や習慣にも同様に違いがあるようで、中国メディアの今日頭条は29日、
「日本にはなぜ朝食を提供する飲食店がないのか」考察する記事を掲載し、中国人が日本へ旅行に行った場合に
「お腹が空いてフラフラになってしまうのではないか」と伝えた。
記事はまず、近年は多くの中国人が日本を訪れているが、日本には朝食を提供する飲食店が見当たらないという
声が多く聞かれるようになったと紹介。
中国人にとって朝食は1日3食のうちの大切な食事であり、街中は朝食を提供する飲食店が数多く存在するほか、
通勤・通学途中に出店や屋台などで購入して職場や学校で朝食を取る人も多い。
それゆえ、中国の街では朝食を入手するのに困ることは全くない。
続けて、日本では朝食の文化が異なっており、中国のように朝食を提供する飲食店は多くはないが、
「皆無というわけでもない」と紹介し、日本のいたるところに存在するコンビニや喫茶店などで朝食を購入したり、
食べたりすることができると指摘。
だが、日本人は中国人と違って自宅で朝食を取ることが一般的であり、「通勤や通学の途中に朝食を取らない」ゆえに
朝食を専門に提供している店は非常に少ないと紹介した。
http://news.searchina.net/id/1679307?page=1
この辺日本と中国の食文化というか朝食に対する価値観の違いが伺えて面白いな。 北京郊外でも裏道に屋台がいろいろあって出勤途中の人がメシ食ってる光景が見られた
おかゆならまだしも油っこい炒め物だったりラーメンだったりさまざまでやっぱり日本と違う
まあ日本の観光ホテルじゃ朝食付きがほとんどだから困らないはずだけどね
でもバイキング方式だと中国人は山ほど持って行って山ほど残すというので困ってるみたい あーそれでホテルの朝食バイキングで大騒ぎしてるのか
白粥と中華粥の入った鍋を自分たちのテーブルに持って行って独占してパンをほとんど持ち帰ってたぞ >日本人は中国人と違って自宅で朝食を取ることが一般的であり
確かに朝は慌ただしいからなぁ…。
欧米だとケロッグコーンフレークでサッと済ませて出掛けるのかな?
朝食を抜いて朝礼の際に貧血で倒れる生徒とかな…。 イングリッシュブレックファーストって豪華なイメージ コンチネンタルブレックファーストは貧相なイメージ。 コンチネンタルと同じ内容でも名古屋のモーニングでは豪華に感じる せっかくズラッとあれこれ並んでいるのに漬物+おかゆやコーンフレーク+フルーツで済ませる奴の気が知れない
貧乏症なんでホテル泊まると朝から満腹+α食べちゃうね 食い物関係(酒は除く)でイングリッシュってついてるとどうしてもイメージ悪い
朝食は比較的マシと言われてるとしてもだ 割りと定番らしい、トマトの丸ごとローストとか・・・
美味いのかな?何付けて食うんだろう、塩コショウ? そういえばうちの実家も、朝はお茶漬けだったな。
前の晩に炊いた冷ご飯を、冬は暖かいお茶、夏は冷たい麦茶でお茶漬けにする。
おかずも大抵前の晩の残り(と言うか朝も食べる事を考えて多めに作る)で、そのおかげで
朝からトンカツとかカラアゲとか、重たい物でも全く平気に育った。
自営業で忙しかったから、効率的な食事だったと思う。 「所さんの目がテン」では昔はごはん炊くのは日に一回で、3食分焚いて、
夕飯が湯漬けだった様な…うろ覚えだから、朝食が湯漬けだったのかも知れないケド(自信なしw) お粥と謂うか湯漬は
戦国武将が出陣に際して食べていたので
消化が良いから忙しい朝に食べるのに適しているかもしれない
でも理想は焼きたての塩ジャケに豆腐とエノキの味噌汁に
温かいご飯かな(*´∀`*) >>903
夜に火を使うと寝るまでに竃が冷えないので、火の用心から良くない
煮炊きは明るいうちにしたんだろうな 俺は毎朝必ず納豆を食うんだが、納豆が全国に広まったのはいつ頃なんだろうか?
それと、旧軍でも納豆が出ることはあったのかな? 軍隊調理法に納豆の作り方載ってるから出るところは出るんじゃ無い? 糸引き納豆なんて生まれてこの方二回しか食べた事ないけど、
本当に全国に広まっているのか?
店に行けば見かけると言う意味では、見た事すらないちくわぶよりは
広まってるかもしれんけど。 まぁググれば色々分かるんだろうけど…
「カムイ伝」で藁にイワシか何か入れて発酵(?)させるのあったな…
「この時の温度を覚えておくんだ…」とか、
そういうノウハウを教える流れ職人が全国に広めて行ったとかなんとか…納豆もそんな感じだったんじゃね?
あと「じゃりン子チエ」で朝食が湯漬けだったな。
お母はんが、御櫃じゃなくて鍋(釜?)からご飯善そって、チエが急須でお湯をご飯茶碗に注いでた。
https://www.dailymotion.com/video/x6whqgj(12話本編始まった冒頭シーン)
アニメだからかも知れないけど、なんか違和感がある小芝居だったな。
漫画の話ばかりでスマンが…w 江戸では朝にご飯を炊いて、上方では昼にご飯を炊いた。
とか聞いた記憶があるけど・・・ あのカムイ伝で描写されている鰯を干した肥料は大変な名人芸で作られてるからどこまで広まったかな
出来の良いものはそのまま焙ってかじっても美味しいくらいで昔はこれを肥料にしちゃったのかと驚きなくらい
まあ漁獲の少ない土地なら普通に開いて干すから一度に大量に獲れちゃう房総半島ならではなんだろうね あれ、肥料だったのか…そして房総だったのか…全然どこのシーンだか覚えてないわw
上方…関西の事か。黒木華の時代劇料理ドラマで知ったわ。
あと、「ちくわぶ」って全国区じゃいのか…おでん種の定番だと思ってのに。 ちくわぶって関東ローカルなのかよ
関東人だが食ったことほとんどないぜ おでん種では好きな方かな…大量投入すると消費するまでに煮崩れするけど そういやおでん屋台ってよくあれだけの種を維持できたもんだね
昔の事なんでコンビニみたいに一定時間たったら処分なんてことしてなかっただろうし
三人も座ればいっぱいだし金の無い奴にチビチビ飲まれてたら回転悪かっただろうに 昔は精米の技術も低かった
お櫃は適度な湿り気を残して夜まで食べられた
ぶぶ漬けいうんは白湯や水やったりする
支那で台所仕事は男子の分担だったりする
(おまけ 結婚の条件は持ち家に限る 集合住宅でも可)
最初の駅弁は握り飯(胡麻)で蕎麦や饂飩の何倍もした >>913
先日九十九里に在る海の駅に行ってきた
そこには鰯にまつわる展示品が幾つか有ったのだが
その中に鰯の肥料の作り方と脂を絞る道具のレプリカが展示されていた
鰯は脂が多いので脂を絞って固めると書かれていた
搾った脂がどうなるのかは書かれていたのかは忘れた むしろ魚油がメイン(灯用)で、搾りかすが肥料じゃないのか? 1970年〜1980年代の給食用のマーガリンは原材料が魚油だったと
親戚で元給食のおばちゃんがいってたなあ、ちなみにそれ以前は
鯨油が原材料だったらしい >>919
魚油は行灯の油に使われていたんじゃなかったかな
だから化け猫だか猫又が行灯の油を舐めるとか 乳牛の代用が植物油だからマーガリンって訳でもないのか。
「チコちゃんに叱られる」でパスタ食うイタリアの猫、放送してたなw
猫は生後12か月間で、与えられて来た餌の影響によって好みが決定するとか…。
だから地域によって様々に食べられるものに左右されるとか。 あの番組わりと頻繁にデマやら諸説あるうちの一つをさも真実のように話すから気をつけろ。 キム兄wだしなあれw
灯明は仏前だし殺生はw
菜種油始め植物油がメイン
櫨の蝋燭も各地の名産に マーガリンw
本物は無職いや無色の白で
味も淡泊w
代用バターなので色素と香料を混ぜる
生協の店とかでこうてみw
マーガリンは植物性で冷えても硬くならず
バターは溶かすのにも苦労するw
直ぐ焦げるが風味は最高!おフランス料理美味しおすw >>922
庶民の使う行燈の油は魚油で合っているね
なんでも菜種油に比べて安いからみんな魚油を使うとか >>924
NHKの悪い癖なのか、番組の作りがディレクター個人の理解の範囲を超えないんだよなぁ 墓地の行燈の油を夜になるとキツネがなめに来て幽霊と間違えられ…って話を何かで読んだね
鍋島の化け猫騒動も似たような感じだけど武家屋敷なのに安価な魚油を使っていたって事なのか >>929
菜種油って本当に高いから、ガチの金持ちか遊郭ぐらいしか常用出来ないそうな
同じ重さのコメより高い… ところでマスタードオイル、だと加熱調理している時に
アリルイソチオシアネートというかまあアブラナ科の辛味成分が揮発して
悶絶する事がある、なんて聞いたがどうなんだろう?
今の菜種油は精製しているからそんな事も無いだろうけど
昔はきっつかったんじゃないかと想像 内陸まで運ぶ馬鹿wも居るんだw
菜種は勝手に繁殖するしなあw
園芸店などの油粕とは
菜種などの搾り カス なんやでw
塩や砂糖と勘違いかw
鰊蕎麦w 平家の落人伝説の村だったか
蕎麦饅頭に秋刀魚?を入れたもので
それが御馳走だった(今の話) 菜種は無視いや蒸して搾るんやでw
無知wも大概にしてやw
胡麻も椿もじゃなかったかな?w
生はオリーブとかだろw
あのヂーゼルだが最初は落花生油を
燃料とするエンジンを開発した (。+・`ω・´)キリッ w
それを軽油に置き換えいうか
菜種でも大豆でも粘性さえあれば大抵使えるw
ヂーゼル最高w >>930
菜種油一升に対して米二升だから、重さじゃなくて体積で二倍の価格だな
それでも美味しいから江戸時代だと普通に屋台の天ぷら油に使われてたりする
江戸で使われた菜種油は、大部分が大阪からはるばる海路で運ばれたものらしい
>>932
内陸だとむしろ安い魚油の方が多かったようだ
農村だと田んぼにまいて虫取りに使ったりもするから大量に使うので、安い油でも採算がとれるとか。臭そうだ 「吉野家の牛丼」が缶詰になって人気爆発 長期保存で栄養満点!出し巻きやたこ焼きも?
改めて知る「缶詰」のスゴさとは(ABCテレビ) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-00010001-asahibc-bus_all 缶詰じゃなくてパックでよくね?
真空パックなら実質柔らかい缶詰だろ。 米糠油 いうのもあってだなw
無知w ってほんと素敵w ワロタ
そもそも堆肥のサイクルから外れてるしw 缶詰の方が賞味期限も長いし、今回の物はボイルしなくても
常温で食べられる工夫もしているとか。 缶詰は丈夫だしな
ちょっと嵩張り重いけどw
温める場合も水は絶対必要でもないし
戦場や災害派遣とか究極の現場で
必要最低限の食事て 兵隊さんは大変だあ
日頃の食事も非常に安価な食材だ! >>936
俗称やわらかい缶詰はレトルトじゃないか
真空パック食品とレトルト食品を混同するとボツリヌス中毒を起こすぞ 某芥子レンコンも、製造の不備であって真空パックが悪い訳じゃないしな。 辛子や辛が泣いたw
芥子wがどういうものか
調べてみろ!無知w
つかレーションスレッドは
お馬鹿さんwしかいいひんの!?w
嗚呼ワロタw そっちも芥子蓮根で調べてみたら?
確か当該商品もこの表記だった記憶があるぞ。
以降ひらがな表記が広まった。 >>946
漢方薬ではカラシナの種子を芥子(ガイシ)と呼ぶし、七味唐辛子に入ってる芥子もカラシナでポピーシードじゃない
中国でもケシは罌粟で芥子はカラシナで、混同してるのは日本だけらしい
とはいえ、現代の日本で「芥子」と書いたら一般には「ケシ」だなあ 芥子蓮根w でキメるw レーション(。+・`ω・´)キリッ
アンパンにかかっているのが
ケシのみ 芥子粒w
芥子 ケシ科ケシ属に属する一年草の植物。w
アブラナ科アブラナ属の越年草。和辛子
アブラナ科シロガラシ属の一年生植物。洋辛子
(マスタードw) 近年でもボツリヌス中毒は真空パック食品がメインだ
誤解から要冷蔵品をレトルトのように扱って事故に至るケースが多い レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。