局地戦闘機雷電その7

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1名無し三等兵
垢版 |
2018/11/27(火) 23:27:43.33ID:4DMeQekh
J2
2名無し三等兵
垢版 |
2018/11/28(水) 00:10:08.87ID:UcECs2eY
>>1
乙です。
でも前スレは’その5’じゃないか?
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1526551814
2018/11/28(水) 05:36:32.33ID:VJHnIXWk
>>2
おおっ君にはこのスレが見えるのかい?
良かった良かったこんなに嬉しい事はない
実は雷電その6は2つもある
なぜか検索しても出て来ない幽霊スレとなって海底に眠っているんじゃよ
このスレもダメもとで建てた
。・゚・(ノД`)・゚・。
4名無し三等兵
垢版 |
2018/11/28(水) 06:37:32.77ID:UcECs2eY
2ちゃんねるの方に’その6’が2つあるぞ。
2018/11/29(木) 07:16:48.92ID:AyCqzj13
雷電国滅ぼす
国破れて
銀河あり
6名無し三等兵
垢版 |
2018/11/29(木) 07:30:25.12ID:iEycEya9
>>5
雷電、銀河のところに別の機体を入れたりもするね。
でも陸軍機の名前が入ったのは見たことないな。
7名無し三等兵
垢版 |
2018/11/29(木) 19:20:20.27ID:yiBVu4P5
強制冷却ファンって馬力損失が半端でなくありそうだし
大きめなスピナーつけて火星15を装備して比較しても良かったんじゃね?
2018/11/30(金) 15:18:17.37ID:tRkPcyWI
プロペラ後流を考慮しない当時の日本の風洞実験では
史実の雷電の方が抵抗が少ないという判断はくつがえラナちゃんと思う

空力よりも軽量化を追求してくれてれば振動に苦しまないまともな雷電が出来てたかも知れない
2018/11/30(金) 16:27:07.70ID:Wx63ZPEn
302空は20年4月19日に20NAのP-51Dに三機の雷電を撃墜されている。

撃墜される福田英中尉機の写真を見ると炎に包まれた操縦席に福田中尉らしき
シルエットが見えるね?
2018/12/01(土) 18:18:35.56ID:Ni3Lk4DQ
その写真は見つけられなかったけど
最期の状況は見つかった
http://www.naniwa-navy.com/senbotu-fukuda-hahaue1.html
「何しても8機の中へ2機だけで突進した。初め敵3機を追って激しく弾丸をうち合い交戦中、英中尉機が大きく旋回すると、その後方から敵4機が追いかけて弾丸を集中した。
3、4百米の低空のことで、ひどい爆音であったが、その時の命中弾で機は空中分解し火だるまとなって落下して来た」と。

戦闘機も人間が乗ってはじめて戦闘機に成るのだと実感する
合掌
2018/12/01(土) 21:56:25.69ID:5ZexO/+y
>>10
福田機の写真は世界の傑作機Vol61海軍局地戦闘機「雷電」に掲載されていました。
この世傑より後に書店で見かけた「302空」というタイトルの写真集には福田機の被墜
状況の連続写真が掲載されていました。

当時「302空」は随分高価だったので購入を見送った記憶がありますが検索して
みたら2500円だったw
2018/12/02(日) 08:40:16.01ID:KwpFS56Z
見たら結構横からの写真だね

『4月19日午前10時頃、英の飛行機が敵機を捕捉して空中戦が始まったため、
警報と同時に帰路につかせた学童達は機銃掃射をまぬかれ、町民は非常に感謝していること。
前回の空襲では学童めがけて機銃掃射をやったことなど話された。』

『住職や警防団の方々が交々語る所によると英は右手でしっかりと操縦杵を握り、右脚をまげて上向きに構えていた。
飛行服は焼け腹巻きまで半分燃えていた。右頭蓋骨は大きな弾痕で打ち貫かれ、いかに善戦苦闘したか想像される戦死であったとのこと』
2018/12/11(火) 16:16:51.17ID:sOE/t29U
昭和16年、海軍はドイツから、He100を輸入、飛行実験していた。

ダイムラーDB601、1100psのエンジンながら、
全備2500kgと軽量、翼面荷重180、(主翼外板表面冷却)という技を駆使し、
海軍テストでも670kmが出たとか出ないとか。
主翼に20mm2丁積むこともできた。

主翼で冷却、つまりラジエーター抵抗を減らした効果、まぁ10%程度ほどの増速があったのかもね。
胴体下半埋め込み式の集中冷却器に変更済の100D-1との話も目にするが。
水冷だから、ノーズ周りはスマートに空力処理できるにせよ。

空冷エンジンの場合、水冷と異なり、そうラジエーター抵抗が極端に大きくならない。
エンジンサイズが大きいから、エンジン+ラジエーター抵抗、と考えれば、意外とドッコイドッコイになる。
金星62ぐらいの1500psエンジンで、全備2500kg程度の高翼面荷重のコンセプトの局地戦闘機であれば、
最高速600km+を目指すなら、当時の日本でもそう苦にしなかっただろう?

そういう意味では、雷電の設計コンセプト(要求)仕様が適切じゃなかったから、
雷電は難儀の道を歩んだのでは、とも思われる。
He100の試験飛行は1938年1月、100km周回区間の世界速度記録634.32km/hは1938年6月5日、
1939年3月10日が746.606km/hの公認記録。
1940年4月に「十四試局地戦闘機計画要求書」を交付、というタイミングを考えてみるとね。
2018/12/11(火) 20:41:07.23ID:Z+Z26rry
じゃあ当時の金星で局戦を作ろうか、とみても40型は過給器は1速で1080hp/公称2000m、栄12型の全開4200mまでいくとどっこいなんだよね
肝心の高空では出力でほぼ同等、その上重量も零戦並ならいかな主翼を小さくしても、零戦の傾向を見るにそこまで速度上がらないように見える
そこで、既に二速過給器を持ち圧倒的大馬力の火星の選択自体は、むしろ余地がなかったのでは
ただそこで、零戦より翼を小さくしたのに自重で800kgも重いんじゃ、どうなのさとは思うが
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