昭和14-15年段階で、実用化のメドが経ってただろう日本の技術を寄せ集めて、
 ・栄21
 ・主翼面積15u
 ・一速馬力荷重 2.1(全備2400s程度)
 ・20mmx2、7.7mmx2
程度の、軽量・高翼面荷重の海軍局戦が見てみたかったな。

零戦32で空気抵抗の40%前後が主翼で発生してたみたいだし、
33%面積カット出来れば、4%ぐらいは(栄12のままでも)最高速伸びるだろ?
層流翼に翼型切り替えて(一式陸攻はそういう大改造した)、も少し空気抵抗を削ること、当時の三菱なら十分に可能。
二速過給機が手に入れば、全開高度の上昇に伴う空気抵抗の減少による速度増がついてくる。
昭和17年になれば、推力式単排気管の実用化すら見えてくる。

6000m5分38秒の雷電21は、正規3500kg、一速1600psだから、馬力荷重は2.18、翼面馬力なら80である。
零戦の主翼を縮小しての局戦設計だとしても、馬力荷重も翼面馬力も雷電21並みに収めることもできるし、
上昇力を大きく損なることもあるまい。

三菱が雷電を難産したのは、重く作って水メタ火星を採用せざるを得なかったこと。
ある意味、堀越の発想なり、海軍側の指示に「限界があった」ということか?