>>76
日本でプロペラ製造できたのは、ヤマハとか住友ハミルトンとか、数社に留まるし、官給品扱い。

当時の川崎の技術者の資料を見ると、
川崎では、Clark-yとか、NACA4000シリーズの翼型のプロペラを用いて、プロペラ効率等の計算してた、
ってのがネット検索で見つかる。

当時の日本のプロペラ屋さん、可変ピッチの角度を20度から30度に広げたりするので手一杯、
フルフェザリングまでは、フランスラチエの技術移植でもキツかった。
翼型改良まで手が回っていない。

そういう意味ではロケット研究に転向した、当時の一流の空力屋の一人者、
糸川博士の資質を上手く活用出来なかったのか、とも夢想したくなる。