戦後の特に昭和期の全盛期には飛燕のロマンチックな姿の良さに釣られて
ダイムラーさえ完璧になれば夢の高性能機、ムスタングを凌ぐとも
一方的に賛美する空気が強かった
あるいは不運の名機だったという一言で「闇」の部分は目を背ける。

川崎重工は設備投資をしぶり、製造機械はかなりおくれていた
燃料噴射ピストンの焼付き停止は三菱製に交換すればあっさり解決したという
ダイムラーどころか初歩レベルの技術もなかった

ドイツでは・・佐貫赤男の視察によればクランクを巨大ハンマーでどかしゃんと鍛造うちぬきして
粗い形ができあがったところで自動研磨機にセットし女子高生がボタン一つで完成したとされる
つまり工作機械を買えば女でも作れるのである。それを川崎重工は買わなかった!

いっぽう川崎の松方社長はパリで美術品を買いあさり金の糸目をつけず「投資」した
松方社長はドイツのウーボートの図面を買うために渡欧したが
ロンドンで絵一枚をたまたま買ってハマり、もともと非常に金持ちの坊っちゃんで臆面なし
「わたしは300億円が自由に使える人間だ」と豪語したという
これらの絵画は松方コレクションとして有名だ。総数は1万点を超えていた