>>861
> それは母艦や艦隊を救うために発揮していい精神なのか?
> 違うでしよ
> 空自には空自の海自には海自のそれぞれ別の守るべきルールがある

だから空自の立場では合理化できず、海自だけが母艦や艦隊を守るために発揮させて艦載機を突入させるのが合理化できる考え方が存在し、
それをシーマンシップだと言うならば、そこで言うシーマンシップなる代物は正に特攻精神そのもの

実際に、特攻を最初に始めたのは戦後の陸軍悪玉説の中で精神主義・合理性の欠如と非難を浴びた帝国陸軍ではなく帝国海軍だ

つまり帝国海軍には特攻を合理的な作戦だと思い違いさせ正当化させてしまう何かがあったということであり、
帝国海軍を無条件に信奉しその伝統を墨守し続けている海自にも特攻を合理的だと正当化する何かが引き継がれている危険性は極めて高いということだ


空の機長の最終退避義務が海の船長・艦長の最終退避義務とは異なるというのであれば、そのシーマンシップなるものは普遍的に正当化できるものではない代物ということであり
国軍のバックボーンを支える思想として、今一度、本当に正しく必要な考え方なのか、再検討が必要ということだ

そしてそれが本当に正しく必要であるという結論になれば、海自のみならず空自や陸自も含めて自衛隊全軍における普遍的な思想的バックボーンとして
隊の違いを超えて全自衛隊員が守り尊重するべき思想なのだ