>>56
>マスタングと空戦してもイイ勝負するかもよ? キミの予想に反して。

いい勝負ねぇ......


第三〇二海軍航空隊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E3%80%87%E4%BA%8C%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A


4月7日、米軍は硫黄島に配備したP-51を護衛として初めてB29に随伴させ、
中島製作所立川製作所に対する空襲を実施した。
302空は撃墜1を報告、喪失は5機。喪失5機のうち4機が夜戦であった。
夜戦ではP-51に対抗できないと判断して昼間迎撃不参加を決定した。
また、雷電、零戦でも赤松貞明のようなベテランを除き、
対戦闘機戦では被害が増加する一方となった[8]。
夜戦はP-51来襲の報を受けると群馬方面への退避離脱を繰り返すことが多くなり、
戦力とならなくなっていた。また、都市近郊であったことも災いし、
焼夷弾爆撃の際は、火災の煙で視界が遮られ、ただでさえ視界が狭い雷電の飛行が
危ぶまれ、スクランブルできないことも多かった。

4月19日P-51が単独で関東の軍事拠点を強襲して厚木飛行場を銃撃。5機を地上撃破される。
4月23日に雷電隊7機を鹿屋飛行場に進出させ、先に進出していた三三二空・三五二空とともに
雷電隊「竜巻部隊」を集成[9]。
4月27日竜巻部隊初出撃。以後4日間で撃墜2機を報告、喪失11機。
5月16日竜巻部隊、原隊復帰。7機中6機を喪失。