その時、何の予告もファンファーレもなしに、物静かな日本人が大学にやってきたのだった。スーツケースいっぱいに、
2400ボーの台湾製新品密輸モデムを入れて。チェコの物理学生と工学部学生たちは、驚きのあまりこの人物の名前を
聞きそこなった。この男はモデムを無料で配り、謎めいた微笑を浮かべると、キャンパスを対角線上に横切って、冬の
プラハのスモッグの中に消えた。おそらくは、日本大使館秘密活動本部のある方向へ。その後、かれを見かけた者はいない。

 この日本人の実在については、疑問の余地はないようだ。ぼくが話をしただけでも、かれを実際に見という人物が4人はいる。
学生たちは、すぐにこの熱々の超高速2400ボーモデムを使い、宣言を流し、自治を宣言し、噂や暴動のニュースを流した。
不安がゆっくりと広がった。11月末までに、ヴァーツラフ・ハヴェルをはじめとする上の世代の反体制知識人たちが、デモで
大きな役割を果たすようになっていた。そして一般人もデモに加わりはじめ、赤軍の後ろ盾のないかいらい政権は、腐った
マシマロのようにあっさり潰れた。12月半ばまでに、市民議会が政権をとっていた。
https://cruel.org/wired/prague.html

日本を滅ぼしていれば共産主義も敗北しなかったのだ!_