南方作戦後のハワイ攻略も不可能です。
1942年6月ごろのハワイ諸島全域の米守備兵力約3.5個師団、オアフ島のみに限っても約2.5個師団、配備された大口径火砲は400門以上、
要するに沖縄戦時の牛島32軍と同等の兵力が、より強力な陣地と火力で守りを固めているのです。
史実の米軍が沖縄攻略アイスバーグ作戦に、どれだけの戦力と時間と物資をつぎ込んだかを考えれば、オアフ攻略の難易度の高さが理解できるでしょう。

参考までに、日本海軍には米海軍のように洋上で戦艦主砲弾を補給する能力がありません。
また消耗した艦載機を作戦中に補充したり、作戦中に連続出撃で疲弊した艦載機パイロットを後方に下げて
交替で休養をとらせるような支援体制もありません。
日本の空母機動部隊の連続滞洋時間(策源地を出港−作戦−帰投するまでの全時間)最長記録は約1か月半です。