ルフトヴァッフェがソ連戦闘機やモスキートのような木製軍用機の開発に本腰を入れたのは
Ta154を生んだ1942年8月の開発指示の頃からという認識で合っていますでしょうか
また、それまでは戦略資源であるジュラルミンの不足をあまり深刻にとらえていなかったのでしょうか
戦前から異常なまでにジュラルミン不足を危惧し、木製化に躍起になっていたソ連に比べると
ソ連同様にシーレーン防衛が不可能で、戦争状態になったら遠隔地からの輸入が絶たれる国であろうドイツが
1942年までジュラルミンの供給を心配していなかったというのは不可解に思えるのですが……
もしかして、大戦中盤まではスウェーデンか何処かから十分に輸入出来ていたのでしょうか?