艦首、副砲塔脇、艦尾の物が荷物だとすると1944年2月24日から29日の横須賀から
パラオへ陸軍兵士を輸送中ではないかと推測。
ただ手塚正巳の軍艦武蔵によると右舷三番副砲塔脇に積載したとのことなので記録が
違うのか、逆版なのかは分からない。
ちなみに艦首は木箱(航空爆弾、機銃)、副砲脇は一斗缶200個(ガソリン)、艦尾は
自動貨車30台と水際機雷多数
同行したのは駆逐艦3隻(白露、満潮、藤波)、出航後2日目までは荒天、3日目に艦首で
発煙弾?が破裂してる(違うと思うが)
推測が正しければパラオ着2日後に殉職される古賀GF長官が同乗されてる。