扶桑山城の操艦は癖が酷かった。
舵を切ると速度の低下が大きく、その上加速が悪いから指示速度になかなか復帰できない。
伊勢日向はこれより重量が後ろよりで、
もっと癖が強かったといわれる。
航空戦艦となって後部が軽くなり操艦が改善したとみられている。